体験、学び、成長。
今回は
記事に書き留めたいと思った事を
そのまま書き綴っていきたいと思います。
幸せを求めすぎれば
幸せでは無いと思われがちですが
常にいつも見落としている様なところに
幸せは溢れんばかりに沢山あり
その幸せの中で
自分はいかに生き
何を掴み
何を持って歩くのか
これに尽きると
私は感じています
起きてくる事も
一昔前までは
最悪な事だとか
惨めだとか
悲しいとか辛いとか
そんな感情を沢山抱いたものでしたが
今では
何に気づかなければいけないのかな?
何をどう向き合っていけば良いのか?など
感情は勿論出ますが
感情は感情として捉え、向き合い
それと並行して
自分の気づくべき事や見直す部分を探りながら
時には休憩をし
自分を癒す事も忘れずに
自分のペースで
やっています
率直に
生きる事が
楽になり
楽しくなった
起きるべき事は必然と起こり
その中で学び
学び終われば
大切なものが残され
次に行く
何度も繰り返しやってきて
今、感じる事は
本当は何も求めていないのではないか?
という事
幸せであり
全てあり
起きるべき事が起こり
越える毎に、次はこれが来たか
なるほど
ならばどう越えようかな、と
やれる事を探し
やり
越えている自分に向かう為に
行動するだけ
そもそも自分がそれをクリアにする為に
生きてきている
クリアにしたいと素直に思えるから
やってるだけ
なんだか
おもしろくなってくる
楽しくなってくる
乗り越えられたら喜びに
直結しているから
乗り越えは
一定量をこなし
体験が多くなると
楽しみになる
勿論、楽しくなるのには
あらゆる感情の学びも
沢山詰まっています。
自分の嫌な部分
ダメだと思ってる部分
強がっている部分
自身の得手、不得手
不要な拘りや
植え付けられた常識とされるもの
その感情は
何を起因として
自分が感じているのか?の見極めも
大切だと
感じています。
1人では
識別がつかなくて
絡み合った感情もあります。
私は1人ではわからない時には
フラットな人に聞いて
参考にし
腑に落ちるものに出逢ってきました。
自分がなぜ
この様な状況にいるのか
知りたくて
何が起因なのかを知りたくて
自分の中で腑に落ち
答えとなるものを
自分で見つけてきました。
腑に落ちる時
思考ではなく
純粋なところ素直なところで
反応する自分がいるので
これが私の求めているものだと気づきます。
感覚での気づきが先に来るので
それを元に行動し続けて体験し
更に深く腑に落ちていきます。
ただただ、知りたい。わかりたい。
なんで?どうして?から
派生し
今では強く思う事もなく
自然とその様な生き方になってると感じます。
わからないならわかればいい
知らないなら知ろうとすればいい
そこに感情はあまり乗らなくなる
真剣に取り組んでいるなら
「わからなくてもいつかわかる
なぜなら自分はそれを必要とし
知りたいと思っているから」
今、お伝えするなら
この様な表現になります。
私にとって生きるとは
「自分の今を越える事」
時間がかかるものも
繰り返しの体験の中での気づきと共に
越えていけられる
やり続け
出逢うべきものに出逢い
やるべき事をやっていく
地球を体験し尽くしたいから
Ayumi