永代供養のささやかな疑問
先週、ついnoteの更新を怠りました。いつの間にか9月。写真は自転車で移動中に田んぼを撮ったもの。あっという間に秋が来て、気づいたら年末になっているのだろう。さて、今日は死後事務についての話。
最近、被後見人さんが亡くなった。少し前に永代供養の契約をしていたので滞りなく死後の対応を終えることができた。
身寄りがない、墓地がない、墓地があっても継承する人がいないなどで、遺骨の安置は死後事務を行うにあたり神経を使うことの一つ。ありがたいことに、そのような問題を扱う業者もある。事前または事後に、比較的安価に遺骨の安置と供養を引き受けてくれる業者だ。今回利用させてもらったのは、お寺系列の霊園業者。比較的安価であるにも関わらず霊園自体は綺麗に整備されているので、安心感が高い。安価ということは、つまり合祀にはなるのだが、氏名を石板に刻んでくれる。宗派は問わないが、ここで他のお坊さんを呼ぶのはNGなだけ。事務所もこれまた綺麗。職員の方は若く、かつ礼儀ただしい。そんなこんなで全く文句はない。
タイトルにささやかな疑問としたのは、この事業は事業として成り立つのかという不思議さ。
その会社の財務状況は全くわからないが、そんなに儲かるのかは疑問。若くちゃんとした職員が数名いるところをみると、決して安くない人件費が掛かっているはず。事務員だけでなく環境整備する清掃員の方も目にする。
対しての収益だが、合祀以外ならば数十万円は必要。合祀でよいなら10万円程度。月に何十件も新規契約はないであろう。成り立っているから、存続しているわけで、いらぬお世話だろうが。
万が一廃業したら、遺骨はどうなるのか?という疑問もある。そう思うなら、火葬後収骨しなければよいではないかと言われそうだ。収骨しない場合は市営墓地で合祀になるのだから。でも、それには抵抗がある。物言う親族が出てきた場合のリスクもあるし、名前が刻まれないということも寂しい。その人が生きた事実が消えるわけではないのだけれど。これは日本人らしい感覚なのだろうか。
私としては、公営の合祀施設ができればよいのではないかと思う。豪華でなくてもよいので。小さくてもよいので。組織が潰れる心配もないし、宗教的に中立ならば、なお望ましいと思う。そんな予算、この国にないのだろうけど。