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未来を占うことなど不可能 説

チームミーティングが長引き、定時を1時間ほど過ぎたころ。ようやく議題の着地点が見えたところで、自然と雑談に移行した。こういうダラッとした時間は放課後みたいで好きだ。ピンポン玉が跳ねるように次々と話題が切り替わっていくなかで、占いの話になった。

占いを信じるか。この質問に関しては、持論がある。面倒くさがられるだろうからあまり人に話したことはない。しかし、こんな末端ライターの書く記事を好んで読む奇特な人は、きっと共感してくれるだろうと思うので、今日は思い切って書こうと思う。この段落が既に面倒くさい。

先に質問に答えると「部分的にそう」だ。大雑把に言うと、未来を占うものは基本的には信じない。現在を占うものは基本的には信じる、となる。

例えば、夢占いの話をしよう。僕はよく「自分で自分の歯を抜く夢」を見る。これを検索してみると、「欲求不満やストレスの暗示」と出る。言われてみると、過度なストレスを抱えている時期に度々歯を抜く夢を見ていた気がする。

夢の内容は、深層心理に深く関わるという。自覚症状には表れないまでも、どこかで何となく抱いている期待や不安が夢に関わる、というのは非常に納得感があるではないか。夢占いのページにはたいがい出典がないので信頼する必要はないが、まあみんな言ってるからそうなんだろう。

だが、そのページをスクロールしてみると、「他人に歯を抜かれる夢」の場合、現在から未来にかけて誰かと対立する可能性を示唆している、とある。ここで夢占いのパラドックスが生じる。

「夢は深層心理が表層化したもの」だという前提のもとに夢占いは成立しているにもかかわらず、なぜ「対立する可能性」を示すことができるのか?「現在、対立関係にある人物が存在する」だったら成立するが、未来のことは自分自身わかっていないのだから、それが夢に現れるのはちゃんちゃらおかしい。

この矛盾を解消することは不可能で、つまり未来を示す夢占いはすべてデタラメであると解釈するのが都合がいい。夢占いごとデタラメだと解釈するのもいいかもしれない。しかし、統計学的に「自分で歯を抜く夢を見る人は重いストレスを抱えている」くらいは証明されてもおかしくない気がする。ぎりぎり納得できる。「統計学的に」と言われると「ははぁ、なるほどぉ」と思ってしまう。

そのほかの占いも、だいたいそう。血液型とか星座みたいな、あまりに枠組みがデカすぎるものは一切の信憑性がないかと思うが、占い師と対面での質疑応答で行う占いについては、現在および過去の事象に限り、信頼しても良いと思う。水晶とかタロットとか手相とか。手段はさまざまだが、占い師が熟練のテクでうまく話を聞きだし、その人の状態を探り当てている、というのはぎりぎり納得できる。

なので占いを信じるか、という問いには「部分的にそう」と答える。我ながら面倒くさい持論である。

ちなみに僕は以前、手相を見てもらったときに「50歳で大成する」「生涯で熱い愛を感じる相手と2人出会う」と占われた。どちらもとても楽しみです。

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