娘の「七夕の願い事」を見て気づかされたこと
7月7日は七夕。
次女の保育園にも笹の葉があって、子どもたちが作った短冊が飾られていた。
「ともだちと たくさんあそべますように」
「おかしを いっぱいたべられますように」
「プールが うまくなりますように」
「仮面ライダーに なれますように」
「はなびが できますように」
など、思い思いの願い事が並んでいる中、うちの娘の願い事は
「いっぱい ゲームができますように」
だった。
僕の家には、Nintendo Switchなどの“ゲーム機”はない。
だから「なんでゲーム?」と思ったが、思い当たる節はあった。
僕と娘は数カ月前、自宅近くのヨーカドーで『プリキュア』のゲームに初挑戦した。
何がキッカケだったかは覚えていないが、娘が「やりたい」と言って、僕も「いいよ」と応えたのだ。
僕自身、ゲームには疎く、さらに女の子用のゲームとなれば、何をどうすればいいのか、全くわからなかった。
まず200円を投入し、出てくる画面の指示どおりに進めていく。
娘はほとんど仕組みを分かっておらず、僕がボタンを押し続けていた。
彼女が唯一、理解できたのはリズムゲーム。
音楽のリズムに合わせてボタンを押す、あれだ。
娘が選んだ曲はまったく耳にしたことがなかったけれど、彼女は画面の左右から出てくる妖精のアイコンに合わせて、器用にボタンを叩いていく。
”連打”や”長押し”のことが分からず、慌てて僕も参戦することになったが、何とか最後までやり切った。
時間にして5分ほど。
あっという間だったが、終わった瞬間に娘と僕は2人でハイタッチを交わしていた。
そのゲームでは、必ず(?)カードを手に入れられるようになっていて、娘は思わぬ”ご褒美”を、まるで誕生日プレゼントをもらったときのように大事にポケットに閉まっていた。
それ以来、ヨーカドーには何度となく足を運んでいたけれど、『プリキュア』のゲームのことはすっかり忘れていた。
いや、娘からは「また、プリキュアやりたい」とせがまれていたけれど、「あんまりゲームにハマってもなぁ」と思った僕はその都度、適当にはぐらかしていたのだ。
そんな折に保育園で目にした七夕の短冊。
我が娘の願い事を見た僕は、自分の振る舞いが少し恥ずかしく思えた。
彼女の切なる願い事が他人に知られる、のが恥ずかしいのではない。
娘の”本気”を真に受けていなかった自分の”適当さ”を反省したのだ。
「いっぱい ゲームができますように」
が、どこまで娘の本音かは分からない。
ただ、短冊に書くぐらいだから、願望の強さは相当だと言えるだろう。
現実世界で願いが叶わないから、短冊(織姫)に託したはずだ。
もちろん、子供の願い事を全て聞き入れることが親の務め、だと言うつもりはない。
ただ、発するメッセージに隠された本音や感情の強弱に対しては、敏感でいたいと思っている。
「最近それが、できてなかったかなぁ」と気づかされた今日の七夕。
今度ヨーカドーに行ったときには、3階の一角にある、あのゲームコーナーに娘を連れて行こうと思う。