「何も書けないこと」をポジティブに考えてみた
新幹線に乗りながら「何か書きたい」と思ってスマホを取り出したものの、結局何も浮かばない。そんな時間を持て余してしまうこと、私にはよくあります。この記事では、そんな「何も書きたいことがない」時間をどう過ごせばいいのか、自分なりの気づきをまとめました。
何も書きたいことがない日
今、新幹線に乗っている。
窓の外には田んぼや山、そしてぽつぽつ現れる小さな街。どこか見覚えのある風景だけど、特に目を引くものはなく、明日のロッキンソニックに向けてWeezerを予習している。
実家のある兵庫から東京に向かうこの移動時間、「せっかくだから何か書こう」と思い立った。スマホを取り出して、日頃Notionにためているメモをチェック。だけど、何を書いたらいいのかわからない。正確には「何も書きたいことがない」と思った。
思考は完全にWeezerで、スマホの画面は暗くなっている。そんな時間が続くと、「書けない自分ってどうなんだろう。伝えたいことが何もないってことなのかな」と少し不安になった。だけど、隣のおじさんのお弁当が気になりだして、「あの焼き魚、美味しそうだな」なんて思ったりして。新幹線の中ではこのまま、思考も自由気ままでいいやと思った。
多分、こんな状況って案外普通だと思う。新幹線という環境が、そもそも集中を阻むのかもしれない。いやいや、それともこれは、新幹線の「揺れマジック」かもしれん。
なぜこうなるのか?
書きたいことがない理由をいくつか挙げてみると、まずは新幹線特有の環境が原因として浮かぶ。車内アナウンスに窓の外の風景、流れてくるSNSの情報、そのすべてが「ちょっとこっちを見て!」と誘惑してくる。ふと窓の外を見ると、どこか懐かしい景色が流れていく。「あ、あの道バイトにいく時に通っていた道だ」と思っているうちに、思考がピューっとどっかいってしまう。
次に、最近の自分の行動を振り返ると、どうもインプット不足。実家では家族とのんびり過ごし、ポテチを食べながらテレビを見ていた。それはそれで最高!!の時間だったけど、書けるネタになるような刺激的な出来事は特にない。今の私の頭の中は、ほぼポテチのカス状態やと思う。(普段もかも。)
さらに、「この移動時間を有効に使おう!」という謎の大使命感が逆効果になっていると思う。期待が高すぎるとやはり萎縮するらしい。高すぎる理想が、私とスマホの画面との間に見えない壁を作ってしまっている。
でも、それでいいのかもしれない
こんな風に「何も書けない」状態でスマホを眺めていると、まぁいいかと思ってきた。書けないことを「ダメなこと」と捉える必要なんて、本当はないのかもしれない。
頭が空っぽの状態は、いわば「心のリセットタイム」とする。散らかった部屋を片付けたあとのすっきりした床のように、今の自分も余白を手に入れたのだと思うと、少し得した気分になる。
それに、この新幹線の揺れがまたちょうどいい。書けない自分を受け入れた瞬間、車窓の景色が急に楽しくなってきた。「あの小さな駅、なんでホームにベンチ一つだけ置いてあるんだろう?」とか、「隣のおじさん、次は卵焼きを楽しみ始めたぞ」とか。書けないからこそ、普段見逃していることが妙に気になってくる。
書きたいことがないときの楽しみ方
どうしても「この時間を何かに使いたい!」と思うなら、次のことを試してみてもいいかもしれない。
1. 何もしないを徹底する
スマホをポケットにしまって、ただ座席に体を沈める。窓の外や天井をぼんやり眺めていると、不思議と心が軽くなる。
2. 人間観察に没頭する
隣の人の動作や、車内販売のお姉さんが何秒ごとに笑顔を見せるのかを観察する。全く意味はないけれど、なんだか楽しい。
3. 他人の知恵を借りる
SNSで好きなアカウントを見る、YouTubeで動物の動画を見る。特に、親猫が子猫を舐めている動画と岡田斗司夫の動画は最強だと思う。
4. 書けないことを書く
「何も書けない」とそのまま書き始めてみる。驚くほど筆(親指)が進むこともある。この文章もそのおかげだ。
空白もまた豊かさ
新幹線で何も書けない時間を過ごしているけれど、それも悪くない。この空白の時間は、自分の中に余白を作るための贅沢なひとときだと思う。(あと、明日のロッキンソニックの予習)
目的地に着くころには、「これを書きたい」という気持ちが自然と湧いてくるかもしれない。焦らず、今はただこの揺れに身を任せてみる。それだけで、何かが変わる気がする。