貶されるときより褒められてるときのほうが私は試されている
人から何かを褒められたとき、「いえいえ、全然そんなことなくて」などと否定にかかるのは悪手で、サラッと「ありがとうございます」と答えるのがベストだというのは、コミュニケーションにおける真実のひとつであり、世間にも浸透してきている考えだと思う。相手の褒めを否定することはつまり、相手の感想を否定したことになるから。
例えば容姿やビジュアルを例に挙げると、可愛いとか格好いいとかいうのは主観だから、言われた側がどう思っているかに関係なく、相手の心の中だけでその真実は成立する。それに気づいてからは私も、容姿について褒められたときはありがとうございますと素直に言えるようになってきた。そもそも容姿を他人が勝手にジャッジすること自体どうなのかという話は一旦置いておく。
でも、数年前に歌人としてデビューしてから、褒めに対するリアクションが上手く取れなくなってきた。サラリーマンだった頃は副業で作家活動をしているというだけで、会社や取引先からは物珍しさで「すごいね」と言われる。私がどの程度のクオリティの短歌や文章を書いているかにかかわらず、皆が少しでも聞いたことがある名前の雑誌からインタビューを受けていれば、それだけで「すごい売れてるんですね!」となる。
しかし、よほどの大型書店か詩歌棚が豊富な店舗でもなければ私の本は置かれてすらいないし、読書家の方でも多くの人は私の名前を知らないし、原稿料だけではもちろん食っていくことは出来ない。これは謙遜でもなんでもなく、私は作家界においては端っこも端っこのところにいる。
なのに「作家先生、ご活躍ですね〜!そろそろ芥川賞ですかぁ?」とか言われるわけだ。
これはもう事実誤認も甚だしい。「可愛い」だったら主観の問題だから否定できないけど、「作家としてご活躍」は明確に嘘である。しかも私は小説を書いたことがなく、「芥川賞」とかはもう事実と照らし合わせた上で絶対違うから、多分私の作品一個も読んでないんだと思う。相手が冗談(というかイジリ)として言っているのはわかるけど、それでも本当にこれに「ありがとうございます」を言うのが正しい反応なのだろうか。気安く認めようものなら芥川龍之介をはじめとする、名だたる作家たちの霊に呪われるんじゃないのか。
そういうわけで、文筆に関する褒めだけは上手く肯定することができずに、いつも「いやいや」とかなんとか言ってその場を終わらせてきたのだけど、先日あるドラマを観ていて衝撃を受けた。
日テレの「だが情熱はある」という、南海キャンディーズの山里さんと、オードリーの若林さんの実話をベースにした作品。物語の中で、若林さんが下積み時代にお世話になっていた前田健さん(作中では谷勝太さんとなっている)が出てくるのだが、当時売れっ子であった彼は、活躍を褒められたときに毎回こう返していた。
「ねぇ〜!ありがたいことですよね〜(両手を胸の前で合わせながら)」
素晴らしい。
相手の気持ちを肯定しながらも真実を伝えるこの技。私はずっと、自分は本当に活躍しているのかどうか、いやしていないだろ、という論点に囚われていたけど、「自分がありがたいと思っているかどうか」という論点にずらしてしまえば真実が言える。取材や仕事をいただけるのがありがたいことなのは紛れもない真実だ!この返しをノータイムでできる人、流石に人間が出来すぎているんじゃないか?これから自分の活動を褒められた際はこの言葉を、それこそありがたく使わせていただこうと思っている。
ところで先日祖父が亡くなり、通夜と葬式に参列してきた。祖父は自分にも他人にも厳しくて、説教が長すぎるきらいはあったものの、まさに世のため人のために生きた努力の人だった。私は長年地元を離れて東京で暮らしているので、遠縁の親族に会うのは私が高校生のころに祖母が亡くなって以来、つまり14年ぶりのことだった。
通夜は滞りなく済み、通夜振る舞いとして食事の時間になった。祖母の葬式の時は自分の席でひたすら机を見つめ続けることしか出来なかったが、私はもう31である。別の席の親族に挨拶をしにいったり、お酌をしたりといった最低限の気遣いができるようになっていて、自分なりにかなりの成長を感じた。
誇らしい気持ちになり、意気揚々と奥の卓に着くと、そこの席にいたのは祖父の姉弟家族たちだった。90歳を超えているらしい祖父のお姉さんが私の顔をゆっくり見てこう言った。
「綺麗なお顔ねえ」
前回会ったのは私が10代の頃だったから綺麗に育ったねえということか。内心、これは容姿への褒め!これ進研ゼミでやった問題だ!と思ったが、そんなことはおくびにも出さず自然な笑顔をつくりながらこう言った。
「そうですか?ありがとうございます」
よしよし。相手の感想を否定せず、かといって感じが悪くない雰囲気で返せた。やっぱり私は大人になっている。
すると、「お人形さんみたいでねえ」と続けられ、いやいやそれは言い過ぎだと照れながら否定しようとすると、
「安らかな表情でねえ」
綺麗なのは、私の顔じゃなくてじいちゃん(遺体)の顔だった。確かに綺麗だったけども。確かに血色がなくてシワが伸びて蝋人形のようだったけども。
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