2ヶ月

我が家にいらした小さな人は、この世界に誕生して2ヶ月を迎えた。
体重はお腹から出てきたときの2倍近くになり、もちろんまだまだ小さいけれど、大きくなったなあと思う。

よく眠り、よく飲み、よく出し、よく動き、よく大声をあげ(笑)最近はそこに、よく笑い、よく泣き、よく話すことが加わった。

肺が強くなってきたのか、泣く声が一段と大きくなり、ついでに長く声を出せるようになった。つい2週間前は「おぎゃー」で終わっていたのに、いまは「おぎゃー、あーあーあー」と付け足すものだから、やっぱり笑ってしまう。諦めずに泣いてすごいよ君は。哺乳瓶温めるの遅くてごめんな。

「うー」と言いながらきらっきらの笑顔を見せてくれることも増え、可愛さが増すと同時に、あぁどんどん成長してしまうと寂しさも感じる。でも愛らしい笑顔を見ながら、今のところはこの世界に安心してくれているのかな、と思うとほっとする。

そういえば拳を舐めるという行動を始めた。「赤ちゃんが右手を発見した」というエピソードはよく聞くけれど、どちらかというと身体の中心を見つける過程ときき、中心という概念がないと左右もない、なんていう当たり前のことに気付かされる。今のところまだ右手しか舐められていなくて、左手があることはわかってないらしい。試しに左手におもちゃをくっつけてみたけれど、何も気がついていない様子。

なにそれ、面白くてとっても可愛い。そんなふうに、日々懸命に世界を知ろうとしている小さな人を見守りながら、だらだらと自己と身体について考える。

自分の身体でありながら、認識できていないってどういう感覚だろう?
でも身体を通じて得る「快・不快」の感覚はあるのだものなあ。
私はどうして私の身体を私のものと確信しているのだろう?
そもそも確信しているのだろうか?
「私の手」というけれど、この「の」は所有格?でも私の一部であって所有とは違うよなあ。
でもたとえば歯が抜けたとして「私が損なわれた」とは感じない。
私はなにをもって、私を私と感じるのだろう。
…こんなことを考えることが好きで、身体性についての疑問が広がり、また本棚の前に立つ。うーん、でも良い本がない、できればゆっくり本屋に行きたい。

小さな人との暮らしは、もちろん忙しくもあり、生活上の変化も大きいけれど、愛おしくて幸せで、人間への興味関心が一層深められて、私にとっては学びの宝庫。

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