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広島に向く

今日は8月6日

78年前の午前8:15、
広島に原爆が落とされた日です

毎年必ず、
子供たちとその被害や戦争について
話をする日。

6月23日
8月6日
8月9日

その真ん中の日、
広島への原爆投下の日。

今年は、キノコ雲の上と下、
それについて話をしました。


*  *


アメリカに住んでいた友達一家が
一昨年帰国しました。

娘たちと同じ歳の兄弟がいて、
アメリカで学んだ戦争の話や
ヒロシマ、ナガサキの話を
少し、話した事がありました。

日本で学ぶことと
アメリカで学ぶことは
目線が違うので
やはり少し違うことも解りました。

今年は、
ちょうど長女の夏休みの課題での
人権作文のテーマが
『他者理解』だったので、、

その作文を書いたときに話した
エンパシーとシンパシー、
それを元に、
今日の広島原爆投下の日を
エンパシーに沿って話してみることにしました。


シンパシー、
そしてエンパシーは、
バチっと訳せる日本語がないようですが

ものすごーーく簡単に言うと
シンパシーは『共感』
エンパシーは『理解』

シンパシーは、
同情や共感、同じような意見や関心を持つ人々間の友情や理解

エンパシーは、
他人の感情や経験などを理解する力、
作業、能力

というように私は解釈しています。
(今のところ、です)


*  *


さて、
『キノコ雲の上と下』
と表現したのは
アメリカと日本、です。

何かのドキュメンタリーで
そのような見方で原爆について
語られていたのが印象的で、
掘り下げてみることにしたんです。

当時、
B-29エノラゲイに搭乗し、
原爆を投下したアメリカ兵のひ孫。

広島市で医師をしており、
自らも被爆者、
また多くの被災者の手当てに従事した
広島市民のひ孫。

その2人が、
戦争、原爆被害を語り継ぐ活動をしています。

私は祖父が
1人は陸軍で、ロシアやサイパンへ
出向いていまして、

もう1人はワクチンや消毒液、
薬などを開発している機関の
医療従事者でしたので
徴兵はされていませんが、
被災者と共に闘っていました。

広島には血縁者はいませんので、
祖先は原爆の被害を直接受けていませんが
甚大過ぎる被害は絶対に
語り継ぐ必要があると考えています。

なので私は
祖父が残した言葉も
戦場の祖父に宛てた祖母の手紙も
冒頭の3日に、
思いを馳せながら戦争の話をする際、
娘たちに見せたり聞かせたりします。

様々な立場から
見つめてみることは大切ですもんね

今の世代だからこそできる、
戦争の見つめ方。

多くの映像、書籍、写真などが
今は手元で見られます。

曽祖父が原爆を投下する戦闘機に乗り、
実際空から落とした、
その被害を自ら広島に足を運び、
記念館で様々な資料を見て、
生き残っている被災者に実際に会い、
話を聴く。

"その勇気がすごい" と長女。

逆だったら、
恨まれるのでは、とか
殺されるのではとか考えて、
とても相手国に行けない、ましてや
実際に地獄のような被害にあった方、
しかも未だに、原爆症に苦しんでいる、
その人たちに会いに行けない、、

と、言いました。

想像して、考えてみることって
大切ですから、中学2年の今は
そう思うんでしょうね。
小学5年の次女も、そうだそうだと
大きく頷いていました。


*  *


でも、分断されている場合じゃないですね。

それがもう起こらないように
大きな大きな、地獄という言葉では
言い表せない事が起きた。

その事実を後世が語り継いでいくこと。

概念や意見、思想は置いておき、
起きたことの事実を
たくさんの方向から、若い世代が受け、
どんどん語り継いでいく、
それが風化させない大切なことの一つだと、今年も思わされました。

原爆を落とすなんて、
多くの人をを殺傷するなんて、
同情なんてできない。

そんな対象についても、
自分とは違う立場の人々や、
違う意見を持つ人々の気持ち、感情。
想像してみたり、
実際に聞いて、理解する作業は大事なんだと思います。


*  *


原爆の日、
話し始めるといつも、
最後は自分たちの話になります。

今できることって何か。

どこか遠い時代、遠い所で起きた、
そんな話に思いがちになるけれど

現在でもロシアは核を保有して、
ウクライナの子供達は核兵器に狙われているような状況でもあります。

また、核だけではないですね。
ルワンダ虐殺なんかは、
石や農具で殺し合いをしたと聞きます。

核がなくなればいいわけではないこと
少し考えれば解ります。

争いは、なくならないのか。
なくせないのか。


まったく、
そんなおっきなことを話して
何ができるわけでもないのに、、
なんてふと思うことも
ありますが、

戦争を体験した曽祖父母や祖父母が
繋げてくれた命があるからこそ、
こうして今、いる。

それが私たちだけれど、
そうなれなかった、
戦争によって絶たれた一族も
たくさんいるでしょう。

生きたかった、
生きていて欲しかった、
そんな無念を抱いて命を落とした人、
大切な人を目の前で亡くした人、
一体何人いるのでしょうね。

10代遡るだけで
1024人の祖先がいるわけです。
その1人も欠けていないから
私たちがいるんだと、
自分や、その周りに生きる人を、
尊い命として大切にして欲しいなと

直接は言いませんが、
子供達がジワリと感じて欲しいと思います。


*  *


無念だっただろうな、
辛かった、痛かった、
苦しかったでしょう、と
先の原爆の被害で亡くなった方へ
思いを馳せて哀悼の意を。


、、、。

と言った形で毎年、この日は
話題にして、
"この世界の片隅で"など、
鑑賞したりしていますが、


今年は長女が、

『なんだかんだいってもさ、無念の死は無念の死だよね。残された人が哀悼の意をもって話をすること大事だけど、無念だよ。』

『私ならもう、なんで、、!無念すぎる!!!!ってなっちゃう。泣
私だって生きて、子供が子供を産むところ見たかった!っていつまでも無念でいる気がする。無念でしかないよ、、やりきれない。辛いだけ、慰霊されても、しんどい。悲しいよ、可哀想の極み。本当に可哀想でしかない、もう。』


と、捲し立てていました。

そうね、、
それもそうね、、

こちらは、
もう、生きてただただ、
想像して、
勝手に同情しているけど、
"何されたって無念でしかない"
って、そりゃそうかもね。


たくさんの話
毎年していると、
子供達が大きくなるにつれ
思いや、意見、感想が
色濃くなっていくのが解ります。

正解はないのです。

でも話題にし、
立場を変えて、
色々な方向から感情を想像する

そのようにして、
映像や書籍をみて
情報を得て、知り、
今後に繋げていくことは
これからも続けようと思います。



最後まで読んでいただき
ありがとうございました(^^)

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