「嫌われない努力」それって必要?
自分らしく素直な人ってなんだか魅力的だし一緒にいて居心地が良い。
少し前の私って、ある人に嫌われないように必死だった。
当然自分らしくなんていなかったし。
いま振り返るとなんだか息苦しくて無理していたなと感じる。
結局そんな関係はうまくいくはずもなし。
<失恋を経て、二十代女子が自分の在り方について考えた話と今までのモヤっとしていた気持ちを書き留めた文章だ。>
褒め上手はいい女?
いい女になるべくさまざま、恋愛本や恋愛コラムを読み漁りそっくりそのまま飲み込んだわたしの頭では
いい女=いつも笑顔で優しい+相手をたてられて褒め上手+聞き上手といった式が完成された。
そもそもいい女とは。
聞き上手、褒め上手な女性と聞くと、もうそれだけでいい女って感じ しませんか。私は特に褒めることに全神経を集中させた。
誰に教わったわけでもなく、何となく褒めるって良いイメージがあって。相手が喜ぶと思って隙あらば下手に褒めたりした。
しかしその行動こそが自分達のイコールな関係を壊す大きな原因だと知った今、振り返るとゾッとする。
考えてみれば、中身のない褒めなんて自分がへりくだって相手の立場を強制的に持ち上げて認証欲求を満たしているようなもの。
下手に褒められたときに違和感を感じてしまう人は少なくないのではないだろうか。だとしたらそんなものは求められていなかった。
良いことをされたら、「ありがとう」と気持ちを込めて伝える。それだけでよいのだ。
自分の良い子なイメージを崩て嫌われたくないから、素直な気持ちを率直に伝えたことなかった。
アドラー心理学で、私の好きな教えがある。
相手が自分のことをどう思うかは100%相手次第。
相手がどう思おうとも自分にはコントロールできることではないのだから、そもそも気にしなくてよい。
伝え方、伝えるタイミングはもちろん重要。
だが、それにプラスしてこんなことを言ったら相手に嫌われてしまうかな?
こんなことばっかり考えて、本当の自分として気持ちをあまり伝えてこなかった。だから、良い子なフリして表面上の会話しかせず深い関係を築くことでがきなかったことは少し後悔している。
相手が自分のことをどう思うかは100%相手次第。
なのであれば、何を恐れることなく、素直に自分の心情や考えを言ってしまってもよかったのかも。
誤解されたら、納得するまで説明すればいい。
自分を見せて話せば話すほどその関係は深く、オリジナルなものになってゆくのに。
窮屈は相手にも電波する。
いい子のフリした自分は息苦しい。この居心地の悪さは相手に伝わってしまうものだと思う。
嫌われないようにと考えて、行動すればするほどその行動とは裏腹に相手の気持ちは離れていく…。
あなたにウケるような私のはずなのに何でぇ。
誰かのウケを狙う・嫌われない努力が行き過ぎて自分を見失ったとき、最も魅力ない自分になっているのかも。
本当はどんな自分でありたいのか?
自分らしさを全開にさらけ出したとき、その人の本当の魅力を知ることができる。それを面白がって受け入れる人でありたいし、そんな人をずっと大切にしたい。