未必のいのり
(写真すべて:@manimanium)
今年の初めに、ある写真家の方と女の子が話しているのを聞いた。
「カメラの前にいる貴方の輝きが、光が、貴方に届きますようにと願いながら撮っています」
そういったことを話されていた気がする。
「今はわからなくても、受け取れなくても、それでも写真は残り続けるから。受け取れる状態になったときに見返して、その光を、写真に込めたものを受け取ってもらえたらいい、その瞬間が来るまではお互いつらいけれど。」
私はそれを他人事のように、ぼーっと、けれど食いいるように聞いていた。
―― じゃあそうやって、誰かのレンズや、そうでなくても網膜の前で光る(立つ)ことすら許されなかった人間は、どうすればいいんですか?
その頃の私は、ほんとうにすたれていたのだ。
けれどしばらくたって、幾年分ものカメラロールを整理していたあるとき
私はその意味を身をもって理解した。
それは、そこに残っていた写真は、私が誰かの前に存在し、生きていた証拠だった。
私はその瞬間、確実に光っていたのだった。
そこで認識した、自身が光っていたという事実が、
生きる意味も死なない理由も見えなくなって、上も下も前も後ろもわからないようなところにひとりいた私にとっての光だった。
写真を眺めていたって何も変わらない、現実は好転しない、ということには変わりないのだけれど、
だけどそれは、いつかの祈りが間違いなく私に届いた瞬間だった。
それと同時期、私はある募集(投稿)を目にしていた。
「関西に行くので撮影の募集をします。」
ーーあぁ私、写真を撮ってもらわなくちゃ。
ーーこれはきっと未来の私へのお守りになる。
そう思ったら、応募フォームを開いてメッセージを書きこんでいた。
"私が生きているところを残してもらえませんか"
お返事をもらい、撮影が決まり、服を選んで。
久しぶりに横からの自分の姿を見て、体の薄さに驚いた。
156センチ 41キログラム、
削り落としてきたものばかりだった。
削ぎ落とすしかなかったものばかりだった。
とても貧相である。
当日、
私は、私の顔が認識できない、わからないんだという話をした。
話をしている間、撮っていただいている間、その時間はひどく孤独で、なのにとてもあたたかかった。
カメラの向こうであんまり私が綺麗に映っていなければいいな、と思った。
それから、この時間と写真の本当の意図や意味や価値は、私たちふたり以外は誰も知らないのだとも思った。
私、私ね、確実に以前の私と以後の今存在している私があって。
もう、"以前"の私のことを知っている人はほとんどいない。
あの頃の私がどんな風に動いて、どんな風に笑うのか、それを知っている人はほとんどいない。
そしてこれから知ることができる人は、もう一人もいません。
それでも私が生きていたことが、あの中には確実に残されていた。
きっとここにも残っている。
これからは、これからの私で世界に触れていかなくちゃいけないのだ。
この日の記憶と記録が、いつか私を守ってくれる、そんな不確かな確信を込めて。
これは未来の私への、ほんの少しの願いである。
撮影:@manimanium
写真、依頼を受けていただいて、ほんとうにありがとうございました。