11=0 という欠片
Everything is a photo
We live in a word today
where almost everything is a photograph
全てが写真です
私たちは今日、ほとんど全てが写真である言葉の中に生きている
↑ソール・ライターの言葉の中で好きなもの
図録見てると一緒に言葉も載ってるんです
その言葉たちが綺麗で、響いて、心が大変です
ゆるゆると波打つ瞬間が何度もある、海のように
何度も繰り返す様子は見てて飽きない、
でも、絶対同じもの・同じ瞬間は訪れないです
図録に載っている言葉は変わらないですが
それを読む自分は何度も何度も読み返すほど変わってゆく
なにかを振り返ったりする瞬間は何度もある
その度に変わることは悪くない、むしろ良い
更新していくけど軸は変わらないから
2020.05.13
『11』というものについて考えてる時間がありました(11日なら尚良かったな、なんて)
11という〇〇の〇〇の部分をひたすら書き出していってた
11という文字、記号、線、表現、名前、奇数、答え、顔、欠片
色々あるなぁ
特に最後の3つは好きだな
理由はないです、直感で11に似合うのはこれかなって
次に、11は〇〇で考えて書き出していった
11はじゅうといち、十と一、10と1、10のつぎ、12の後ろ、2本の線、棒、11
棒って見たままだけど間違ってはない
博士の愛した数式/小川洋子 を読んでから
数字一つでも気にするようになった
十と一は土になる
自分を支えるもの、自分が支えられているもの
自分はわたしでもあり、植物、水、空気、石、食物…形なくても存在してるもの
土台という言葉があるけど、言葉の通り踏んでいくものでもあるし乗り越えていくものでもある
+と- は±0(プラマイゼロ)になる
普段から+はプラス、-はマイナスに考えるけど
その2つが組み合わされるとどちらでもなく、どちらでもある関係になる
考え方次第で0(ゼロ)になる、11なのに0(ゼロ)に
11は1と1を繰り返して成り立つ形
いったりきたり、でも、軸は変わらないようななにかがありそう
こんなにシンプルで強いものは数字なのか、記号なのか、文字なのか
11は11でしかないのだけれど
いつも考えてることを言葉にすると絵に還ることが多い
初めての個展の時の為に新たに描いた【11】
あの時から1年が経とうとしてます
最初は10個の発泡スチロールで10個の線を描く、という風に決めてたけど
10個描き終えた時点でなにかもやっと、した
思えばいつもは終わりを決めずに描き出すので
何か決めて描くことにも違和感を覚えた
なんでもやっとしてるのか分からなくて結構長い時間考えてた
ふと、10という数字、10本の線が綺麗すぎると思った
「壊したい」
そう思って、もう一本描いた
その1本を足したことで10が0(ゼロ)になった10を壊すことによって11になって、0(ゼロ)になった
壊したことでスッキリしたのは不思議な感覚だった
けど、なにかもやっとしたそういうもの(なにかわからない形のないもの)があったからなのかもしれない
11(十と一)という欠片
11(〃)という答え
【11=0】
これはわたしのなかでしっくりきた、新しい自分の法則
個展の入り口に【11】をもってきたのは
間違いではなかったのかもしれない
この法則だとスタート(ゼロ)という意味でも捉えられる
あのときの自分に教えてあげたい
「間違ってないよ」
↑個展会場の入り口から見た様子
右手にあるのが【11】です
miya.m