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検索しても出てこないことが好き。そして秘密が似合う女。

仕事柄「検索された時、書いたものは上位に上がらなければならない」という呪縛に、長い間囚われていた。
しかし10年くらい前からその世界のあり方にうんざりしはじめ、ここ数年は、特にプライベートにおいて「検索されないこと」「検索されても出てこないこと」の方が、ずっと価値があってオシャレで、そうありたい、と思うようになっている。

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昨年末、敬愛する2人の男性に声をかけていただき、お酒をご一緒させていただく機会があった。

一軒目で美味しいお蕎麦と日本酒を堪能し、二軒目は男性の1人が贔屓にしているBARに連れて行ってもらう。

私も年齢的にそれなりにいろいろなお店とご縁をいただいているが、彼に連れて行ってもらったBARは、エリア的に普段私が行かない場所。入り口も年季の入った建物の2階で。彼に連れて行ってもらわなければ絶対に行けない、一言で言えば「選ばれし者だけが辿り着ける秘密基地」だった。

慣れない高さの急な階段を転ばないように注意深く上ると、目の前には重厚な扉。

「この扉は何万回、どんな人に開閉されてきたのだろうか?」と頭の中で勝手に妄想がはじまる。つれの男性が扉を開けてくれたが、もし私1人だったら開けるのに数回深呼吸が必要だ。それくらい、まるで結界のような重い扉だった。

お店に入ると「空気が違う」、を全身で感じる。

薄暗い照明、ゆったりしたピアノ曲のBGM、7席程度しかないカウンターだけの小さな空間。空間だけでなく、空気も匂いも、まるで私が小人になって、醸造中のウイスキー樽の中に入ってしまったように感じた。なにより店内にいた一人の女性の雰囲気に、私は一瞬で心を持っていかれてしまう。

女性は箒を使って店内を掃除していたが、私たちが入ると「すみません、今開けたところで」といってカウンターに入った。つまり彼女は「お店のママ」になるはずだが、そんな感じは微塵もしない。

メイクはとても薄く、髪は短く、小さいピアスをつけていた。声のトーンは高すぎず低すぎず、ボリュームはやや小さめ。シンプルなベージュのニットを着ていた。何より全ての動作が彼女の静かな呼吸と呼応するようにゆったりしていて、とにかく秘密が似合う感じ。

連れてきてくれた男性がウィスキーのソーダ割りを3人分、プラス秘密が似合う女性の分もいれて4杯オーダーしてくれた。

ドリンクを作る手はネイルも指輪もなく、なんの飾り立てもないのに、色白な肌や桜貝色の素爪の美しさが逆に際立つ。

みんなで乾杯する際も、若い女の子や安いキャバ嬢のように媚びたりしない。
「いただきます。うん、美味しい。」とため息に似た言葉がゆっくり唇からこぼれるだけ。

お酒の効果で4人が共犯になると、小さな、でもちゃんと聞き取れる、その空間に最適なボリュームで「ナスの煮浸しを作ったんですけど、食べます?」と聞いてくれて、私たちは喜んで頂く。

ぴりっと生姜の効いた煮浸しをウィスキーに合わせてゆっくり堪能。

もうこれだけで幸せだったし、そう、竜宮城にいる気分だった。

ただ、私は彼女のことを「ママ」とか「お姉さん」とはどうしても呼べなかった。聞くと彼女は「お手伝い」で週に数回店番をしているだけで、本当は画家であり、絵を教えているという。

私は自分の名を名乗り
「もしよければお名前教えていただいてもいいですか?」と勇気を出して尋ねてみた。

「まりこです」

いい。なぜなら私は「まりこ」という名前がとても好きなのだ。音が好きだから漢字はオプションだが、特に「麻」と「里」の漢字を含まない「真理」や「真梨」、あるいは「茉莉」や「鞠」に「子」がつく「まりこ」は群を抜いてセクシーだ。

名前を呼ぶことで少しだけ親密さが増した。

まりこさんがそのBARで店番をするようになった経緯、伝説のオーナーのこと、店内を流れる音楽の話、映画の話、今他にされているお仕事、連れてきてくれた男性の旧友との思い出、今はもうないウィスキーの瓶の話、扉の役割、昭和の喫茶店にあったコインを入れて回すおみくじ……。私が大学生の時に夢中で読んだ作家須賀敦子の話がここで登場するなんて夢にも思わなかった。気を許した私は弾けもしないギターをふざけて鳴らした。

4人ともSNSは苦手ということでもちょっぴり盛り上がって、4人で秘密の話と時間を楽しんだ。でもあくまでゆっくりと。それぞれがそれぞれの言葉を全身で聞いて、じっくり味わっていた。高級ワインをゆっくりテイスティングする時のようにゆっくりゆっくり。

消費でも消耗でもない、確かな会話。なんて贅沢なんだろう。オフラインでなければならない秘密の時間。

オンラインでピュピュッと飛び交うチャットでは成り立たない、答えも正解も議論もない、ここ数年でベスト5に入る時間と空間と会話だった。


夫も息子にも話す必要がない「私」の時間だ。

この秘密をどうしよう。

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実は私は秘密を入れる箱を持っている。それは箱根細工でできたからくり箱。高校生の時、私のことを好きだと言ってくれた男の子からもらったお土産だ。

17歳の私は幼くて、年上の彼からならブランドバッグを、同級生のボーイフレンドからなら、せめてレイジースーザンあたりでプレゼントを選んで欲しいと期待していた。だから地味な「箱根細工のからくり箱」に心底がっかりした。

でも彼に「これ、何に使うの?」と聞いたら
「多分、ひみつとか入れるんじゃない?」と言われ、私は彼を好きになった。

その後、彼とは数ヶ月お付き合いをし、今思い出しても楽しかった思い出ばかりなのに、私の心変わりでダメになってしまった。それでも彼は愛情深い人で、今も年賀状を送り合う。もちろん、私が彼からもらったカラクリ箱、いやひみつ箱をいまだに使っていることは知るはずもない。私にそんなお土産をプレゼントしたことさえ彼は忘れているに違いない。これは夫にも息子にも話していない小さな秘密。

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極上の夜遊びを終え帰宅した私は、引き出しからひみつ箱を取り出し、BARで引いたおみくじを箱にしまった。

今朝、あの夜以来はじめてひみつ箱を開けた。おみくじには「思い切った行動に出て吉」と書いてあるはず。今日は思い切ってまりこさんに会いに行くから、その言葉を見たかったのだ。

注)まりこさんは仮名です。
須賀敦子。イタリア文学者であり随筆家。私が特に好きな作品は「ユルスナールの靴」。須賀敦子を読んだ方がいいと進めてくれたのは彼女

https://stand.fm/episodes/661f981b8a76c14ccdb9ade9

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