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私の母のストーリー

5/10(日)は母の日でしたね。
皆さん、素敵な母の日を過ごされたのでしょうか?

私は、

・自分の母に対しては、子供の動画を送っただけ(ごめんなさい...次の機会に...)
・夫からは特に何も無く...(俺の母親じゃ無い的な事言われた...まぁごもっともだけど、来年からは、子供からって言う体で、お花買ってきてって頼もう...)

と、サラッと過ごしてしまいました。(懺悔...)

ここ最近、ミシェルオバマ「My Story」、や「Miss Representation」 を見た事で、「(特に女性の)ストーリーを残す事」みたいなキーワードが気になったので、改めて、私の母のストーリーを書いて見たいと思います。

私と母は、所謂すごく仲良しの母娘ではないと思います。2人に共通の趣味があまり無くて、2人で出かけると言うのはあまりしないです。距離が近すぎると喧嘩してしまう、と言う事もあり、産後も里帰りしたいとは思いませんでした。

ですが、私の中で母は、絶対超えられない、圧倒的に尊敬できる存在です。
と言うのも、母は、3人(私、妹、弟)子持ちの、バツ2のシングルマザー。因みに、私の父からの、金銭的な援助は一切受けていないです(頑なに断っている)が、私たちは何不自由なく暮らして来れたし、私と妹は大学4年間留学させて貰っています。
母は、メーカーにずっと勤めていて、40を超えて、子供を3人抱えて(2-3年挑戦していた様な記憶があります)弁理士資格を取り、キャリアチェンジをしました。(その当時は、母もまだ結婚しており、私達は皆んなで母方の祖母と同居していました。)
弁理士資格以降も、母が、常に何かしら(フランス語は仕事で使うレベル、趣味で中国語、最近は通訳案内士、医療翻訳)、勉強する姿を見て私たちは育って来ました。

そんな母を見ているから、私は、
「旦那さんの稼ぎだけで暮らしていけるから、仕事をしなくても良い」と言う感覚に、怖さを覚えます。
勿論、そう言う考えを持っている方を否定している訳では無く、単純に、親が2回離婚しているので、離婚がすごく身近で、私だったらその可能性を考えてしまう、と言う話です。
以前、夫の駐在に帯同した際に、夫と共同の銀行のアカウントだけではなく、個人のアカウントを別に作りたい、と言う話をした際、「何で?」と聞く夫に、本当に悪気無く、「だって、離婚とかしたらさ...」と口を滑らせてしまい、夫にドン引きされた程です。(流石にそれに関しては、言うべきでは無かった、と感じます。笑 因みに、当時の夫の先輩は「それくらいしっかりしてる奥さんで良いじゃん」と言ってくれ、あれから7-8年、まだ一緒に居れています。笑)

因みに離婚に関して、娘としては、親が幸せなら何でも良い、と言う気持ちです。
学生の頃は、他の友人とあまりそう言う話をした事がなく、うちが珍しいのかな、と言う点で、後ろめたい気持ちもありました。が、大人になった今は、どこの家庭もそれなりに色々あるんだな、とわかり、私の親の話も気軽に話せる様になりました。

反対に、父は可哀想なくらい、離婚もだいぶ渋っていたし、今でも、私の母の事を愛しているそうです...
因みに、郵送で父が母にバラを送った際に、母が受取拒否したので、「復縁の可能性は今の所、0%だ」と言うのを、父は悟った様です。(宅配の方も気まずかったであろう...)
娘としては、「母の事は早く諦めて、誰か他の人を見つけて欲しい...」と言う気持ちでいっぱいです...

もう一つ、母の凄いな、と思うところは、周りの目を一切気にせずやりたい事をやるところです。例えば、スノボにハマった時は、夜行バスで(乗り合せた、面識のない)若者達に囲まれて、1人で雪山に行っていました。SUPや、サーフィンなど、果敢に新しいスポーツにも挑戦します。その他、最近は登山も好きな様です。

そんな母に、これからも元気で楽しく暮らして貰いたいです。
コロナが収まったら、また母と旅行にでも行きたいなと思います。

そんな、私の母のストーリーでした。

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