日々の泡沫(4)――マキマさんの「デタラメな能力」と「固有名」について
初めに大急ぎで断っておくけれど、本稿は話題の『チェンソーマン』に関する考察を試みるものではない。それは、冒頭にクリプキの名著を挙げたことからもわかるだろう。
しかし、とっかかりは「マキマさん」(あの妖しくも美しいマキマさん!)であり、我が国で2022年の暮れに「マキマさん」と言えば『チェンソーマン』の「マキマさん」に決まっている。
世の中に幾人いるか数える気にもなれない無数の「まきまさん」の中の誰かではなく、他ならぬ『チェンソーマン』のメイン・ヒロインであるところの、あの「マキマさん」である。
そう、僕が本稿で少しばかり取り上げたいのは、この「他ならぬ」「あの」「マキマさん」というやつだ。
※以降、少し前の現代思想を齧っている人には退屈な議論だろう。しかしクリプキなんて思想家や、「固有名」と「確定記述」なんて議論など、これまで聞いたこともないという若者が存在するのも事実である。ので、今さらクリプキかよ…と思われた方は、速やかにお立ち去りください。
ソール・A・クリプキの『名指しと必然性』は、50年も前の出版だが、今でも新刊で入手できる。それだけ読まれている(今でも一読の価値があると見做されている)のだろう。
本書でクリプキは「固有名」に関する議論を展開する。「固有名」というのは、「他ならぬ」「あの」というやつのことだ。あなたが友達や仕事仲間の名前を口にするとき、世界に(歴史上も)同姓同名の人間がいたとしても、「他ならぬ」「あの」誰かを指し示すことができる。それが「固有名」というやつの不思議な特徴だ。
この「固有名」に対置されるのが「確定記述」である。「確定記述」というのは、誰が聞いても特定の「或るもの・こと・ひと」などを指し示し、別のものと取り違えることのない定義、みたいなやつと考えて欲しい。
つまり、「固有名」と「確定記述」は、ちょうど数学の代数のように、置き換えることができる。
たとえば、「マキマさん」は固有名である。
これに対応する「確定記述」は「藤本タツキという漫画家が描いた『チェンソーマン』という作品に公安対魔特異四課のリーダーとして登場する架空の女性キャラクター」となる。
この二つは置き換えが可能だ。どちらを使っても(後者は冗長だが)同じ人物を指し示す。つまり、この二つは「同義」であり、同じ対象を指し示す。
……だが、クリプキは「同義ではない」と論じるのだ。
クリプキは「可能世界」なる道具立てを用意する。「可能世界」とは「現実世界」に対して「if」を持ち込む。「もしそうでなかったら…」というのが「可能世界」である。「マキマさん」は、そうは言っても架空の存在なので、実在する人物を例に挙げよう。
「伊藤博文」は固有名である。「日本の初代総理大臣」はその確定記述である。「日本の初代総理大臣」と言えば「伊藤博文」の他にいない。別の誰かと取り違えることはない。
ではここに、「if:そうでなかった可能世界」を持ち込んでみよう。
①ー1:現実世界「伊藤博文は日本の初代総理大臣である」
①ー2:可能世界「伊藤博文は日本の初代総理大臣ではない」
①ー2は歴史的事実に反するが、文章としては成立する。そのような「if:可能世界」を想像してみることは可能だ。そして、日本の初代総理大臣でなかったとしても、「伊藤博文」は「伊藤博文」であり続けることができる。他の誰かに置き換わったり、消えていなくなったりはしない。
では、上の文章で、この固有名:「伊藤博文」を、確定記述:「日本の初代総理大臣」に置き換えてみたらどうなるか?
②ー1:現実世界「日本の初代総理大臣は日本の初代総理大臣である」
②ー2:可能世界「日本の初代総理大臣は日本の初代総理大臣ではない」
②ー2は歴史的事実に反する以前に、文章としておかしい。固有名を確定記述に置き換えると、可能世界が成立しない。もはや「伊藤博文」でないばかりか、誰であるかもわからなくなる。
クリプキは、「可能世界」という道具立てによって、「固有名」とはこのように不思議な性質を持つものであり、「確定記述」と同じではない(代数のように置き換えられない)と主張したのである。
さて、改めてマキマさんをお招きしよう。
ご存じのように、マキマさんはいくつも不思議な能力を持っているのだが、中でも戦慄するのは、はやりアニメ9話に登場したこれ ↓ であろう。
本稿の読者はアニメ9話を観ている(あるいは原作既読勢である)はずなので、もしそうでない方がいれば、以降はネタバレになることを、ここでご注意申し上げておく。
①抹殺したい人間の名前を知る。
②犠牲になる人間を用意する。
③犠牲になる人間に抹殺したい人間の名前を言わせる。
④両手のひらを擦り合わせる。
⑤抹殺したい人間が擦り潰される。
⑥犠牲になる人間が絶命する。
以上が、マキマさんの「デタラメな能力」である。
※この能力を「デタラメな」と形容したのは、目の前で仲間を圧殺された登場人物・沢渡あかねである。
アニメ9話では、終身刑以上の犯罪者を集め(②)、そのうちの一人に「三島シュウゾウ…と言いなさい」と命じる(③)。そして④を実行する。続けて別の囚人に「井上タカシ…と言いなさい」と命じる。そして④を実行する。……そのようにしてマキマさんは、公安対魔特異課のメンバーを襲撃した人間たちを、一人一人、擦り潰していく。それも、自身は京都にあって、東京にいる人間を擦り潰すのだ。(恐ろしや……)
さて、言うまでもなく日本にいる「三島シュウゾウ」は一人ではないし、同じく「井上タカシ」も一人ではない。しかし、マキマさんは「他ならぬ」唯一無二の、公安対魔特異課のメンバーを襲撃した「三島シュウゾウ」や「井上タカシ」を擦り潰す。彼らはマキマさんの目の前にはいない。繰り返すが、マキマさんの身は京都にあって、三島や井上の身は東京にある。
これが、「固有名」の特異な性質だ。
マキマさんは間違っても、たまたま同姓同名であるに過ぎず、公安対魔特異課のメンバーを襲撃などしていない「三島シュウゾウ」や「井上タカシ」を、うっかり擦り潰すことはない。なぜなら、ここでマキマさんが口にしたのは「固有名」であり、従って、「他ならぬ」「あの」「公安対魔特異課のメンバーを襲撃した」「三島シュウゾウ」や「井上タカシ」を指し示すことができるからだ。
本稿の教訓――くれぐれも、マキマさんに名前を知られてはならない。……いや、その前に、公安対魔特異課のメンバー襲撃など考えないことだ。……少なくとも、そこにマキマさんがいる間は。(綾透)