私の百冊 #17 『右利きのヘビ仮説』細将貴

『右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化』 (フィールドの生物学) 細 将貴 https://www.amazon.co.jp/dp/4486018451/ref=cm_sw_r_tw_dp_mGV-FbA78F8VE @amazonJPより

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「細(ほそ)」というのが、このおかしな本を書かれた方のお名前である。「苗字由来net」を見てみたところ、全国におよそ380人、分布のトップ5は広島・東京・三重・千葉・和歌山とある。(東京に関しては「分布」という表現は当たらないだろう。なにしろ東京はとにかく集まってくる場所なのだから。実際、この細将貴氏も、現在、武蔵野美術大学=ムサビの先生をされており、つまりは東京にやってきた「細さん」のお一人である。お生まれはトップ5にもある和歌山だそうだ)

さて、皆さんもよくご存じのように、ヘビには手(腕)・足(脚)がない。あるいは、手(腕)・足(脚)のないやつらを、僕らはヘビと呼んでいる。手(腕)・足(脚)がないやつに、右利きも左利きもないはずである。ヘビに向かって「おまえさんは右利きかい? 左利きかい?」と尋ねるのは、人類に向かって「おまえさんは羽ばたき派かい? 滑空派かい?」と尋ねることに等しい。言うまでもなく人類は空を飛べないので、飛び方を尋ねるのはナンセンスである。ところが、手(腕)・足(脚)のないヘビに「右利きか左利きか」を尋ねることができると、細将貴氏は主張するのだ。

大急ぎで断っておくけれど、細将貴氏は京都大学で博士号を取得されている大秀才である。専攻は生物科学であって、ナンセンス文学でも、ましてや法学部でもない。つまり、人を騙して悦ぶ人ではないのである。

問題のヘビは、イワサキセダカヘビといって、石垣と西表の両島にしか生息しない。そして、主食はカタツムリである。主食もなにも、どうもこいつはカタツムリしか食べない偏食家であるらしい。そして、この偏食こそが、イワサキセダカヘビを「右利き」にした。――ここで言っている「右利き」とは、実は、ヘビの顎の話なのだ。

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上の写真をよく見て頂きたい。向かって右のほうが、明らかに歯の数が多い。イワサキセダカヘビはカタツムリを食べる際、首を右側に曲げ、歯の多い右側の顎を殻に押し込み、中身を引きずり出す――。ここで、生物学的センスの高い方はお気づきのことかと思われるが、これは、引きずり出されるカタツムリの殻が右巻きであることに伴う進化なのだ。そう、カタツムリの多くは右巻きなのである。

実際、稀にいる左巻きのカタツムリの捕食には、イワサキセダカヘビは失敗するらしい。失敗と言っても捕まえられないのではなく、引きずり出すことができない。なにしろ、方や右利きで、方や左巻きなので、いかにもやりにくい。とは言え、ボルトとナットのネジ山の向きが違っているほど絶望的でもなく、譬えてみるとすれば、右利きの人間が左利き用のハサミを使ってみた際の、あのイライラするもどかしさ――左巻きのカタツムリを前にしたイワサキセダカヘビは、どうもそんな感じらしい。

イワサキセダカヘビによる捕食圧は、さほど高くないと考えていい。なぜなら、もしイワサキセダカヘビの捕食圧が非常に高ければ、右巻きのカタツムリが激減し、左巻きを多数派にしてしまう。それではイワサキセダカヘビは、偏食を改めない限り、絶滅する。実際、イワサキセダカヘビの偏食は、お母さんに叱られて直る類いのものではない。カタツムリの多数派を右巻きであり続けさせる、絶妙な捕食圧が維持されているというわけだ。この辺り、自然というやつは極めて危ういバランスの上に、ギリギリで成り立っているのだと言えるだろう。

ちなみに、イワサキセダカヘビの捕食圧から免れている左巻きのカタツムリが多数派にならないのは、同じ向きの巻き方をしていないと交尾が難しいからだそうだ。つまり、左巻きの連中は繁殖相手となかなか出会えない。それでも、捕食圧がないために、少数ながらも左巻きは生存し続けている。しかし、いわゆる遺伝子プールの中に一定数の左巻きが維持されていることは、いつか、もしかすると、カタツムリの生き残りを助ける結果になるかもしれない。

余談だが、僕の息子は左利きである。彼のために我が家には左利き用のハサミがある。間違ってそいつを手に取ってしまうと、うまく噛み合わず、実にイライラさせられる。僕の父が左利きなので、いわゆる隔世遺伝というやつか。人類が一定数の左利きを維持していることの生物学的メリットは、ちょっと思いつかない。野球にいいバッターが多い、といった話くらいだろう。しかし、野球の巧拙は生物学的な優位性に影響しない。恐らく。(綾透)

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