![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74531689/rectangle_large_type_2_c41aaa27c1540081ee63ec80a000b348.jpeg?width=1200)
鍼治療のこと
私は今でも痛いことが大嫌いです。
それは物心つく前から予防接種でチクッとした途端、入り口に向かい逃げ出したそうです。それ以降もずっと注射は大の苦手なままです。
若い頃から腰が弱かった母が私が中学校、弟が幼稚園の時に、ぎっくり腰になった。それまでも時折、ぎっくり腰になったといい腰を庇って行動することがあったが、この時は立てなくて家の中を這い進んでいた。
とてもひどい状態だなぁと子供心に心配していた。
弟は母に「わんわん?」と無邪気に聞いていた(;一_一)と後から母から聞かされた。この弟は小学校に行って、帰って来て、母に、お母さんは薪を背負って本を読んでいたのかと真剣に聞いてきて、私はそんな昔の人じゃないと憤慨させる未来を持つ子でした(笑)
父が母がぎっくり腰になったと会う人、会う人ことあるごとに話していたら、鍼の良い先生を知ってるよ、一回受ければ治るよと言われて、それならと試しにうけてみることになった。
その話を聞いた私は、鍼って何?と聞いて、肌に鍼を刺して行う治療だと聞いて、わぁそれは怖いと思った。
腕が良く、予約でいっぱいという鍼治療師の予約が取れ、父の友人が車で迎えに来てくれた。
立てず、お辞儀した状態でしか歩けない母が車の後部座席に横たわるように乗せられて運ばれて行った。
この時まで、今までで一番ひどい状態が続いていました。
私は走り去る車を見送って家に入りました。心配と鍼治療という初めての治療方法が聞いた通りだったら凄いなと興味津々でした。
ぎっくり腰になりやすい母は、それまでにコルセットを作ってみたり、整形外科や、接骨院などいろいろと点々としていた結果が、今回の立てなくなるほどのぎっくり腰だったからです。
車が戻ってきて、扉が開いて、私たちは玄関に向かいました。
玄関に母が立っています。
数日、激痛で立ち上がれず、這ってトイレに行っていた母が玄関に立ってぎっくり腰になる前と変わらない姿で、にこにことしています。
私は興味津々で母から治療の話を聞きました。
とても細い鍼の治療で、全く痛くなく、大抵のことは一回で治療が終わるというお話しでした。その時は団地の一室で治療院をされていて、目の見えない男の先生です。丹野というお名前の治療師さんでした。
この時から我が家と丹野治療院との繋がりが始まりました。
最初の時点では、私は鍼が嫌いだから治療を受けることはなく…。
母は持病の腰痛が出ると通うという感じでした。
時系列を無視すると、父と弟も腰を痛めたり、肩、足など関節に関して不調があると行きましたが、我が家の男性陣は効かないと申しておりました。
効かないのが思い込みなのか、効く人と、効かない人がいる治療なのかは、各自の判断になるんだなぁと思います。
私は一番、行きたくない派だったのですが。
小学校の頃に体育の自由授業の時に、距離感がとれず、走ろうと後ろへと振り下げた肘とバットが当たるという事故があり、接骨院に行くと打撲と、筋がズレているという見立てでした。
しばらく接骨院に通い、湿布した打撲は治りましたが、腕を動かす時に僅かな違和感が残っていました。
中学になって、扉を閉めて、肘を引いているつもりが、腕が動かず、指を扉に挟むという怪我を繰り返すようになりました。
まったく腕が動かない状態なのではなくて、ある瞬間に頭の中では、腕を動かしているつもりなのに、動かず、怪我してばかりしておりました。
母がバット事件を思い出し、絶対に痛くないから鍼治療に行きなさいと言う、根っからの怖がりな私は鍼だけは絶対に行きたくないと拒む。この母子の攻防が続く間に、私は後ろに回した腕を一定の角度で前に戻そうとすると誤作動で動かないことが偶発するらしく怪我ばかりしていた。
まったく動かなかったらもっと大問題になるが、そこまでではなく、数か月にあるかないかという感じだったのでしょう。
その間合いが狭まってきたのもあり、また指先を怪我した時に、母に説得されて渋々鍼治療を受けることになった。
丹野治療院の鍼は髪の毛のような細さの和鍼を使用する。患者の主訴と、脈を診て、鍼を打っていく。置き鍼はされない。
これはとても痛かったねと優しく労わりの言葉を受け、本当にチクリともしない治療に驚かされることとなりました。
それきり私が指を扉に挟むことは一度もありません。
それから転んでひどい捻挫をして松葉杖をつくほど痛んだ足首とかも一度治療を受ければ、ケロリと治る魔法のような鍼治療でした。
一回限りの治療で治してしまう江戸鍼の名医である先生は一軒家に転居されて、我が家はずっと事あるごとにお世話になっていた。
丹野先生はお子さんがおられたが、跡を継がすつもりがなく、自身の治療法は、習ったことと、ご自身の研ぎ澄まされた感覚で織りなされており、それを伝えることを断念しているから、自分の代だけでこの鍼は消えてしまうだろうと話されておりました。
不調に対して一回限りの治療時間は長く、丹野先生は私にいろいろな話をしてくださいました。
私は打った、転んだとなると丹野治療院にお電話をして、予約をお願いする。 数か月に一度通うこともあれば、数年単位で行かないこともありました。
通い始めて10年過ぎくらいのこと。
治療を受けていて、ふとした弾みで、私は小学校の頃に顎下のリンパ腺が腫れてしまい、医院に通いました。抗生物質を処方され、それを真面目に服用するものの一向に顎下の二つの触れてもわかる腫れが治まることはありませんでした。どの医院だったか、顔も覚えていないのに、最後に主治医が、かなり強い抗生物質を処方したこと、この腫れは引くことはないと思うが、それ以外に問題はないから、もう来なくていいよという診断をされたことを丹野先生にお話ししました。
現実に、その腫れは残り、疲れると重たい感じもしましたが、それ以上のこともなく、ただ、当時は華奢だったのに顎下が二重顎っぽい感じの美容的な問題はありましたが…。
そのことを何の気なしに丹野先生に話すと、ああそんなことになっていたのか?どれどれと触れて確認され、大丈夫治るよと話されて、先生の鍼が、トントンとどこを刺してもらったのか、この奇跡の後で、いくら思い出そうとしても思い出せないのですが。
体内でシュルシュルと何かが解ける感覚がして、一瞬にして、顎下の腫れ二つが消失したのです。
私の身体に起きた奇跡は喜びをもたらしましたが、次に感じられたのは、当惑でした。
私の顎下の腫れは初めて丹野先生の治療を受けに行く数年前に起きたことだったからです。
その日、私が何の気なしにその話をしなければ、先生の秘された腕を知らないまま過ぎた可能性もあったのが、私の戸惑いになっていました。
起きた幸運と、それがもっと前にできたかもしれないのに、できなかった現実との狭間がずっと残り続けております。
当時にネットがあったら、声高に伝えたい素晴らしいことでした。
今、ここで伝えて、そんなことが出来るのかと、未来の鍼治療師の治療の幅がもし広がってくれるなら、それも素晴らしいことだと思います。
丹野先生に師匠がいて、他の弟子筋もあると思いますが…私は見つけられずにおります。
この経験があったから、その後、友人と旅行に行く予定のちょっと前から
私の脇腹の一か所が腫れて、なかなか治らないでいました。
私は虫刺されが悪化でもしたのか?と想定しており、旅行の予定もあったので、こんな状況なのですがと話し、予約をお願いしました。
治療を始めて、最初はなんだがはかばかしくなくて、先生がいきなりあっとなって、今から、鍼を打つから、感じを教えて欲しいと言われ、鍼を打たれた途端に、その痛んでる場所の内側がモゾモゾと動く感覚がしました。
それを伝えると、丹野先生曰く頭の信号が誤って腸に外に出なさいという信号を送っている。これを書き換えるから、もう二度とそういうことにならないから安心しなさいと治療をしてくださいました。
これは顎下の数年後のことでした。
あの経験が無ければ、丹野先生に行こうと思いつくことはなかったと思います。
本当に素晴らしい名医の鍼治療師の先生でした。
体調が悪くならないと予約しないという患者で、お電話したら、もう鬼籍に入られておられました。ご冥福を祈るばかりです。
先生はもう長くないから自分の代わりの先生を見つけなさいと私が治療に行くと、時々に言っておられておりました。
いやいや、そんなまさかが私の想いでしたが…。
突然、それが現実になって、鍼治療に対して調べていて、確かに丹野先生に近い、若しくは、それ以上の症例を扱われている和鍼、中國鍼の先生がおられるんですよね。出逢うのも奇跡、治療を受けられるのも奇跡です。
腕の良い先生、相性のいい先生、様々なご縁が素晴らしいものであることを願って祈念しております。