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長い目

 私は身内に甘いというクセがある。
 私は10歳違いの弟がいるが、彼が産まれてきてくれるまで、私は一人っ子だった。
 母は60手前で身罷ったが、生来身体が弱く、もっと早く死ぬのではないかという予感をかかえていたので、娘が一人で生きていけるようにと、殊に私には厳しく接して育てられていた。
 年がいってから、息子というのもあり、それはそれは溺愛して弟を育てており、あまりの違いに、母に問いただしたら、貴女は私が死んだら、一人で生きてゆけるようにと厳しく育てたが、姉弟がいれば、そこまで厳しくする必要がなくなったと言われた小学校高学年の私…。
 なんとも理不尽な気がするが、それを論破するには幼すぎた。

 そんな母親は一人っ子特有の1人で平気という性格が気になっていた。
 担任の先生に相談という形の共謀をして、フリーでグループを作らせて授業をするというスタイルの時があった。
 今もだが、グループ行動が苦手で、それがグループ活動しなきゃならないから、それはもう苦痛で、これ以降、何かグループ行動する時の為に、友人を作らないとという強迫観念ができてしまった。
 クラス替えするまで、グループを作る時に、組めるだけの友人に手厚く接してしまうという、防御本能からきている行動。
 人間関係で何かを選択しなければならない時、私の判断基準は、どちらの人間と長く付き合う可能性があるか?
 長く付き合う可能性がある相手には、喧嘩するよりはと、負けるが勝ち的な、引いた付き合いをしてしまう。
 言いたいことを言わず、譲っているのだが…。
 それに気づく人は少ないですねぇ(;一_一)
 人間関係的に面倒になっている関係が生じていて、なんでこんなことになったんだか?と悩んでまして、ぐるぐる考えていたら
 子供の頃まで巻き戻ってしまいました。
 長い目で、仲良くしたいから、譲ったり我慢したりしてきた人生なんだけど、それが全く報われない。
 譲っても、譲っても、感謝されず、もっと要求されて際限がない。
 もー面倒になって、私なりの誠意も親切も通じないなら
 心の翼をもがれているのも同然で、もう手離すのが最良なのだと思う。
 それでももっと良い形で分かり合えたらと思うけど。
 そうならないものもいっぱいあるんだなぁが今の達観。ふふ 

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