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つまらない講義を聴きながら、講義中に落書きをしながら、なんとなく過ごす毎日。いつの間にか桜は散って、キャンパス内は新緑の柔らかな葉で包まれていた。あの日以来、あの子のことはあまり見かけなくなっていた。席については落書きし、落書きしては授業が終わり、みんなが騒ぎだしたのを合図に講堂を出る。特別なことが何も無い毎日を繰り返していた。
家に帰れば、作成途中の絵が、机の上に放り出されている。構図が決まっているのに、もう全て描ききっているのに、何か足りない。納得がいかない。毎日何かしら線を足したり消したりしているけど、あの時のあの瞬間からどんどん掛け離れるような気がして、少し混乱してしまった。だから、しばらく絵から離れて、授業に集中するとか、他のことをしようと決めた。

それからというもの、なんとなく教授劇場についていけるようになり、文学の世界に、少しだけ踏み込めるようになった。文も、意外と、面白いじゃん。私の授業中の落書きの頻度も、少し減った。

なんとなく文学の世界に入り込めるようになり、面白いと思えるようになり、本屋に立ち寄るようにもなった。今まで本屋に行く時は、デッサン材料になるような写真が載った本を買いに行くとか、誰かの画集を買うとか、美術関連の著書を買うような時だけだった。でも今は、普通に本が読みたくなって、本屋に来ている。
短い小説でいいから、読んでみよう。そんな気になった。最近見かけないあの子の影響も少しあった。
中古本コーナーに立ち寄って、なるべく薄い本を探す。厚い本だと、途中で挫折しそうになるし、何日もかけて読み続ける自信がなかった。
本棚の中の、膨大な量の本達を、ざぁーっと流し見していた。いつの間にか、遠近感とか、本の質感とか、色んなことを考えて、ここをデッサンしたら…と絵の構図を考えてしまっていた。
いかんいかん。今日は本を買いに来たんだ。目的を忘れてはいけない。
再び本に目を向けて、薄そうな本を適当に探して見る。
『離さない 川上弘美』
すごく薄い文庫本だった。離さない?なんだろう。指は無意識に本をとり、最初の1ページをめくっていた。
タイトルの意味がわからないまま、私はどんどん本の中に入っていく。立ち読みとかあまり良くないのは分かってる。でもやめられない。周りにいる人たちなんかもう知らない。どんどん離れられなくなっていく。
気づけば私は最後までその小説を読み切っていた。本にこんなにこびりついていたのは初めてだった。離れられなかった。この本は、私を離さなかった。すごい!
純粋に感動した。面白いと思った。興味深いとも思った。もっと読みたくなった。

そして私は、その中古本を破格の値段で買って、家に帰って速攻でベッドの上に座り、2周目を読むのだった。

翌日から私は、いつも持ち歩くリュックサックの中に、その本をしまい込むようになった。講義はちゃんと聞いた。暇さえあればその本を読んで、講義で聞いた話を元に、色んな考えをめぐらせては悩み、また、色んな面からアプローチして読み、あーじゃないか、こーじゃないかと、考察していた。

ふと、気づいた。私は本の世界に魅了されている。知らぬ間に本を好きになっている。文学が好きになっている。これって、あの日見たあの子と、もしかしたら同じ状況なんじゃ…。あの時の雰囲気、表情は、きっと、本が好きだからこそのものなのではないか。表情はよく見えなかったけど、でも、絶対に、あの日の彼は、本が大好きだということを表現していた、表現されていた。

私の絵に足りなかったものは、その気持ちなのかもしれない。本が好きになった人にしか分からないこの気持ちを、今なら、絵に落し入れることが出来るかもしれない。私なら、やれる。あの子の気持ちを、自分自身が体験したから。だからやれる。いける。描ける。
そう思って、今日の講義終了と同時に、急いで机の上の絵へと向かった。

廊下を走っていた時、学生ホールの掲示板に、なにか貼ってあったのを横目で見た。
「絵画コンクール 作品募集」
今はコンクールのことなんて気にならないけど、とりあえず、あの絵を完成させなければ。
自己満足の絵なのに、謎の使命感を抱えて、掲示物は気にしないことにした。

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