その後②
桜叶くんが作品を出品してから数ヶ月後のある日だった。いつもならトントンと一定のリズムで聞こえてくる足音が、今日はなんか違かった。
「深咲!深咲っ!」
リビングのドアを思い切り開けたかと思えば、息を切らした桜叶くんの声が部屋中に響いた。ただ事ではない雰囲気が部屋の中を取り囲む。何があったのか分からなくて、私はとても不安な気持ちに包まれて、無意識に眉をひそめていた。
「深咲。聞いてくれ。俺、やったんだ。」
「…は?」
「俺、とったんだよ!新、人、賞!引っかかったんだよ!!」
「…うぇっ!?」
桜叶くんは満面の笑みを浮かべて、受賞の旨を伝える1枚の紙を、私の目の前に突き出してきた。
「わぁぁあああああ!!!」
「深咲ー!今まで本当にありがとう。俺の事支えてくれて本当にありがとう。深咲がいなかったら、俺、賞取れてなかったよ。本当にありがとう!」
主人が帰ってきて喜んでいる子犬のように私の体に張り付いてきた彼に、私はそっと、両腕を彼の背中にまわした。桜叶くんの夢が叶って、本当によかった。彼も私も、2人で笑いながら、大粒の涙を流していた。
「あとね深咲。」
彼は急に真面目な声で、私の耳元でそう言った。そして、勢いよく私から離れたかと思えば、何やらポケットから紺色の小さな箱を取り出してきた。
なんかプレゼントかなー。受賞のお祝いのプレゼントしなきゃいけないのは、私の方なのに、と思いながら、彼のいつもよりちょっと変な様子を眺めていた。
彼は箱を開けて、前に突き出し、90度に腰を折って、いきなり言った。
「お、俺と!結婚してください…!」
頭が真っ白になった。何が何だか分からなくなった。一体この世は、この部屋は、今何が起こっているのか…。箱の中には確かに、小さな小さなダイヤが1つ埋め込まれた、プラチナのリングがあった。
桜叶くんの受賞があって、プロポーズされて…。その一連の状況を整理して理解して飲み込むまでに、私はしばらくの時間を要してしまった。理解して、嬉しくて、恥ずかしくて、私は顔を真っ赤にしながら、床にうずくまってしまった。
理解するのに時間はかかったけど、答えはもう、ずっと前から決まってた。
「こんな、冴えない私で、良ければ…!」
私は顔を上げて、涙をふいて、なるべく嬉しい気持ちが伝わるように、今までした事の無いくらい最大限の笑顔を、桜叶くんに向けた。
桜叶くんは私のすぐ目の前にしゃがみこんで、左手の薬指に指輪をはめてくれて、お互い真っ赤な顔をして、真っ赤な目をしてたけど、でも、ずっと、ずっと笑っていた。
新人賞を取ってからというもの、桜叶くんは度々テレビに出たり、新しい本を出版したり、色々忙しくなっていた。お仕事が軌道に乗ったようで、本当に良かったと思っている。
バタバタしたせいで婚姻届を出すことをすっかり忘れていたから、後日私達は慌てて婚姻届を役所に貰いに行った。
「これ緊張する。失敗しちゃダメなやつだよね…。」
「間違って俺の苗字書かないでよ!ここは梶原って書くんだからね!」
「わ、分かってる!分かってるから静かにしてっ!」
「はい、すみません…。」
ボールペンでなにか書類に記入する機会は何回もあったけれど、これ程緊張したことはなく、お互いにピリピリしながら婚姻届を書いた。書き終わったあとはすごく安心して、2人で謎に大笑いしていた。
「今日、大安だな。」
「そだね。日がいいね。」
「今日、出そっか?」
「そんな簡単に決めていいの?結婚記念日だよ?」
「いいよ。これから特別になるんだから。」
「そっか。そうだね。じゃあ今日の日付書いて、一緒に出しに行こう。」
4月7日
桜叶くんは丁寧にそう書いて、行こう、と言った。
玄関を出ると、近くを流れる川の土手の桜が満開なのを知る。甘い匂いと、薄桃色の花びらが、私たちの間を駆け抜ける。そういえば、大学で初めて桜叶くんを見たのも、この頃だったよなぁ。
適当に決めたような結婚記念日だったけれど、思えばこの日は昔から、私にとって特別な日だったかもしれない。いつもは通らない川岸をわざわざ通って、私達は役所に婚姻届を提出した。
「おめでとうございます。あ、あと、旦那さんの肩に、桜付いてます。」
受付の人にサラッと言われて、私達は窓口で大笑いしてしまった。周りの人達にはすごい迷惑をかけてしまったけれど、でも、今日だけはそれでもいいと思えた。帰ったら今日はカレーにしよう。なんでか分からないけど、カレーを一緒に食べたくなった。
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数年後。
私のお腹には、新しい命が宿っていた。毎日お腹を温めながら、生まれてくる日を楽しみに、絵を描いていた。
私は今、桜叶くんと、絵本を作っている。
お話は桜叶くんが書いて、絵は私が描く。お互いの得意なところでカバーしあって、2人で1冊、作っている。
私と絵本を作るのは、桜叶くんの夢だったみたいで、私の絵がみんなに笑顔を与えるのなら、そして桜叶くんの夢を叶えるのなら、この上ない幸せだと思って、話を引き受けた。
「体調どうー?絵の調子も。」
ゆっくりと扉を開けて、桜叶くんが入ってくる。桜叶くんはいつも、私の大好きなホットミルクを持って来てくれる。
「うーん、こんな感じかなぁ。もう少し柔らかい絵の方がいいかな?その方が子供向き?」
「いや、これはこれで俺は好き。結局買うかどうか判断するのは親だからね。子供が欲しがってなおかつ親が買おうと決断できるような絵ってのが重要だと思うから。深咲の絵はそれを満たしてる気がするから、このまま行こうよ。」
彼はコーヒーを飲みながら、丁寧に、1枚1枚絵を見て、話してくれる。色々考えて、アドバイスくれて、一緒にひとつのものを作り上げてくれる。私はこの人と結婚できて、本当に良かったなと思ってる。
「そういえばさ、今日、俺らの結婚記念日だよね。」
「そうだね。早いね。あっという間だね。」
「今年も桜、綺麗かな。もし深咲の体調良かったら、散歩行かない?」
「そうだね。散歩したいな。お腹の子にも、この春の空気と桜の香り、味わって欲しい。」
お互いに飲み物を飲み干して、春の柔らかい日差しが降り注ぐ川辺へと、ゆっくりと足を向けた。
川辺は相変わらず満開の桜で、大学ほどでは無いけれど、桜のトンネルって言葉がそのまま当てはまりそうな気がした。薄桃色の吹雪が、私たちを優しく包んでくれる。桜の甘い匂いがする。鶯が、ホーホケキョって鳴いている。
「来年もまたここに来よう。その頃はお腹の子も、腕の中かな。」
「そうだね。きっとそうだね。……あっ。」
お腹の内側から、どんっと鈍い刺激が来た。ちょっと痛いけど、でもそれは悪いものじゃないと、すぐに分かった。
「どうした?」
「動いた!蹴った!」
「蹴った!わぁ!蹴ったか!やるなぁ俺の子!」
「この子は桜好きなのかなー。なんか嬉しいね。もっと元気に大きくなってね、赤ちゃん。あ、あと、あなたの子じゃなくて、私たちの子だから!」
お腹の子の成長を喜ぶように、私たちの間には、いつまでもいつまでも、桜の花びらが降り注いでいた。春の爽やかな風が、髪の隙間を通り抜けた。
私たちの笑い声が、大空まで響いている気がした。
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