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【短編】女は変わる
左の手首に一本、まっすぐ引かれた傷がある。
いったい、いつこんな傷ができたのだろうか。
わたしは生まれてこの方、手術をしたこともないし、傷を縫ったこともない。
カッターらしきもので、手首の関節の部分から、肘までまっすぐ引かれている。
この傷はいったい、なんだろう。
そういえば、とわたしは思った。
『そういえば最近、わたしは甘いものを食べていない』
手首の傷を眺めていたら、そんなことが頭に浮かんだ。
最近、甘いものを食べていない。
以前のわたしは、食事をする前になにかちょっとしたものを食べないと気が済まなかった。クッキーだったり、一口大の饅頭だったり、そういうものだ。
料理をしながらも、なにか食べたりしていた。そして作った料理を食べた後にも、それとは別のまたちょっとしたなにかが必要だった。ポッキーとかせんべいとか、そういうものだ。
いつかはやめようと思って、いつも食べていた。
ついでに言えば、とわたしは思った。
『ついでに言えば、わたしは最近思いっきり笑っていない』
思考が思考を連れてきて、わたしはそんなことを考えた。
たぶんもう、以前のように後から思い出して笑ってしまうような出来事に遭遇しなくなったのかもれしない。
以前は誰かがわたしを笑わそうとする前に、わたしはもうこらえきれなくなってゲラゲラと笑ってしまっていたものだ。
相手がわたしを笑わせようとして、でもわたしはこらえきれなくなってすでにもう笑ってしまう。相手はそんなわたしに呆れてしまい、そんな相手の姿がどことなくまたわたしの笑いを誘う。
いつまでも笑ってはいけないと思いながらも、しばらくするとまたおかしくなってきて、こらえきれなくなって笑ってしまう。
やめようと思ってもやめることができなかったものを、気づけばわたしは、過去のものにしていた。
別に甘いものを食べなくても、別に思いっきり笑わなくても、いっこうかまわない。
そう思えるようになっていた。
いつからだろうか。
わからない。
わたしは、きっと今の生活に満足しているのだろう。
新しい恋人もできて、昇進して、給料も上がった。教え甲斐がある部下もできた。脱衣所と洗面所がある新しい部屋に引っ越した。室内乾燥機もついている。おまけに南向きだ。
以前は給料日のときだけにコンビニで買うエクレアが、わたしを救ってくれる唯一の存在だった。
恋人だって、画面の中にいればそれで充分だった。トイレとお風呂が一緒だったとしても気にならなかったし、洗濯機が外でもいっこうにかまわなかった。
自分が生まれる以前からあるようなアパートに住んで、コンビニのエクレアと質量のない恋人に囲まれて、わたしはそれなりにやっていけていたのだ。
でももう、甘いものもそんなに欲しくない。
わたしだけの特別な、唯一な笑いもとくにいらない。
わたしの中で、何が変わったのだろうか。
わからない。
けれども思えば、以前のわたしはいろんなことをうっとうしく感じていた気がする。
パンストがすぐに破けること。女性トイレが混んでいること。花嫁より目立たない服装を選ばなければならないこと。男の人の言葉の軽さ。挙げていくときりがない。わたしはそういったものがうっとしくてしかなたがなった。
そういったものに対して、今は気にならなくなったというわけでもない。
今の恋人も言葉が軽いし、相変わらず空港の女性トイレは混んでいるし、友人の結婚式に行ったらストール持っているのは自分だけだったりする。
でもそれらは大して苦痛じゃない。
あらゆる苦痛がベルトコンベアに乗ってわたしの目の前に流れてきて、これまではいちいち反応してそれらに目を背けていた。あるいはショックを受けていた。
それが今は苦痛がベルトコンベアに流れてきても、「そうか、これにはこういった欠損があるのか」とまるで検品するように受け止めることができるようになっていた。
ほんと、いつからわたしはそんな風になってしまったんだろう。
そう思えば最近、と私は思った。
『そう思えば最近わたしは、泣かなくなった』
自分が泣かなくなったことに気づいて、わたしはなんだかすごく悲しくなってしまった。
以前は、嫌なことがあって、悲しいことがあって、みっともなく泣いていたはずなのだ。
もうこんな悲しい思いは2度と遭いたくないとおもっていたはずなのに。
もうこんなに傷つくのはたくさんだと思っていたはずなのに。
なのに、わたしはもうそんなことがこれから起きないんだと思うと、途端に悲しくなった。
そんなことは認めたくないけれど、もしかしたらわたしは望んでいたのかもしれない。
そんなことを簡単には認めたくはないけれど、もしかしたら私には悲しみや傷が必要だったのかもしれない。
以前のあの人に、あんなひどい言葉を言って、当たり散らして、それでさらにわたしは傷ついていたはずなのに。
そして自分がわからなくなって、それでまた傷ついていた。
わたしは、また悲しくなりたいのかもしれない。
わたしは、また切なくなりたいのかもしれない。
あるいは傷ついて、ひとりで小さく泣いてみたいのかもしれない。
でも結局それは叶わないだろう。
わたしは、もうそこには戻れない。。
緩やかになにかに背中を押され続けて、でも決して戻ることは許されない。
わたしは進んでいくしかない。
わたしはゆっくり変わっていくしかない。
変わっていって、以前のわたしにはもう戻れない。
進んでいくしかない。
変わってしまったものは、もう戻れない。
わたしはまた、この左の手首に傷を入れることにした。
あたらしい傷をもうひとつ。
それは、わたしが今のわたしであったことを示す大事な印。
どんなにわたしがこの先変わっていっても、今日みたいにちゃんと振り返ることができるように。
わたしはまた、この左の手首に傷を入れる。
どんなにわたしがこの先変わっても、その傷は変わらずわたしを思い出させてくれる。
きっと以前のこの古い傷も、そんな風にしてできたに違いない。
わたしは、以前からあるこの傷をそう考えるようにした。
わたしのことだ。きっとなにか思うところがあって、忘れやすい自分のために、あとで振り返ることができるようにとこの傷をつけたのだろう。
早すぎる日常というなの濁流に、少しで自分のいた痕跡を残すために。
いろいろ変わったのかもしれないけれど、とわたしは思った。
『いろいろ変わったかもしれないけれど、わたしのそんなところは、たぶん今も昔も変わらない』
【解説】
泣く子も黙る、男女混合バンドの代表格『ゲスの極み乙女』。いろいろあってか、楽曲を知らない人でも名前は知っているというくらいになかなかの知名度を誇ります。楽曲を聴いてただければわかると思いますが、めちゃめちゃいい曲を作るバンドです。えぇ、ほんとに。
彼らの『難しいこと』をしているのに、ちゃんと『ポップ』な曲作りをしているところにわたしは共感を感じます。音楽を低俗化させていないのに、ちゃんと大衆にはうけるように工夫されている。わたしはそう感じますね。
『女は変わる』は、初めて聞いた時にはなかなか衝撃でしたね。歌詞に出てくる「女は変わるの、あなたが居ぬまにちょっとずつ」というところは、すばらしいですね!川谷さんは、ガツンとくるワードを作る天才だと思います。この言葉を聞いて「たしかにそんな気がする。根拠はないけど」と思わせてくれる。きっと作った彼の中では「これがこうなって、こういうふうにきたから、この言葉がある」と繋がっているのでしょうけれど、聴いたわたしたちはいろんなものを飛び越えて、作者(川谷絵音)と繋がる。それってほんと、すばらしいことだと思いませんか?
小説の解説ですが、ざっと説明すると、まぁ、楽曲のイメージ通り「女は変わるけど、変わらない」といった感じですかね。これは単なる言葉遊びとかではなく、変わる部分は大きく変わって、変わらない部分はいつまでしつこく残る。自分にとって大して重要に思えない部分が、変わらずいつまでのそのままで、でもあとから気づいてみればやっぱ根本を支えていた、という自己認識のひとつの例題みたいな読み方もできますかねー。読みやすく書けていればいいと思います。
読んでくれる人と少しでも『何か』つながればいいなと思って毎回書いております。
文:綾坂 茂吉