見出し画像

とりとめのない記憶

私は今、親と連絡を絶っている。
恐らくもう5年になる。
今まで我慢してきたものが一気に崩れ、私は私として生きるために決別を決心した。

親にとって私は優しい気遣いのできるかわいい娘だった。
文句一つ言えずに、親の不仲を見て育った。

親の喧嘩の原因は大体、父親の偏った考えによる独断的な考えを押し付けられる事にあった。毎夜殺してやると怒号が飛び、ものがひっくり返る音がしていた。母はよく泣いていた。母はアルコールに逃げた。

父には数々の女性がいたことも知っている。私のことも娘と思う時と、女と見る時があったように思う。

父として?身体を触られたり、歯をカッターナイフで削られたりした。妊娠中、出てくるお腹をみて「気持ち悪い腹。豚みたいや」と言われた。
化粧や髪型が、父親の好みに合わないとクソミソに罵られた。

それでも我慢して、キレて暴れたりする父の逆鱗に触れないように、我慢してピエロのみたいに道化師になった。とにかくアホで、何にもわからないふりをした。

死にたい気持ちばかり芽生えた。
当時の恋人はガタイの良い大きな人。
好きとか嫌いとか、それよりも私を親から救って欲しかったから。

しかしながら、他人にそこまで話す勇気もなかったし、半分洗脳された私は、助けてとは言えなかった。なので、定期的に不安定になる私がひたすら怖かったと思う。それでお別れした人もいる。

今の夫はめちゃくちゃ穏やかな人だ。
喧嘩なんてできるのか分からないくらいに平凡な人。でも今までにない感覚。
優しいし、自己主張しないから、凄く居心地がよかった。

でも、代わりに私が父親みたいに夫に感情をぶつけるようになってきた。負の連鎖はこうやって始まる。

優しい言葉をかけられて育った人は優しい言葉が自然に出てくるらしいが、私にはその言葉をうまく使える情緒が育っていなかった。

今まで何度も、夫をひどく傷つけた。

私のような人間はいない方がよいと思う。しかし今は死ぬ勇気もあるやなしや、よくわからない。まだ、子どものこととかを考える余裕もあるから。

そんなわけで、私は今日も死んだように未来に希望を持たないまま、なんとか生きている。

こんな奴は私の代で終わりにさせたい。させるべきだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?