【映画の感想】ハッピー・デス・デイ
(前半はネタバレなし、後半はスペースの後にネタバレありです)
日本の訓練されたオタクの前では「死んでもループする」という設定に今更物珍しさはないし、歴史を紐解けばSFを初めとして類例はたくさんあるのだろうけれど、この文脈を「ホラー」に持ち込んだのは新しい(多分)。
日常系のループであればじわじわと焦り始めるところだけれど、本作は放っておけば明確な殺意で襲ってくる存在がいるのでいきなり焦燥感MAX。そしてベビー・マスクが大変不気味で怖い。本来はコミカルなはずの造形が恐怖で上書きされたときの不気味さというのは普通に怖いものより恐ろしく感じられるけれど、この辺りの心理はどんなメカニズムによるのだろうか。裏切られた感? ギャップ冷え?
主演のジェシカ・ローテがとにかく魅力的なのでそれだけでも見ていられるけれど、疑い始めると登場人物の誰もが疑わしく感じられ、「あいつか? それともこいつか?」と訝りながら鑑賞するのが楽しい。そして主人公がやや奔放(配慮に基づく表現)な辺りが業の深いところで、誰もが動機を持っているように感じられる。
手に汗握りながら主人公と一緒に犯人探しをする体験ができるというのはかなりの臨場感で、映画の音響も相まって結構ハラハラさせられました。
(以下スペースの後にネタバレあり)
心を入れ替えた後のジェシカ・ローテの振る舞いはそれはそれはキュートで、なかなか日本人には馴染みがない表情や仕草がいちいち新鮮に心に刺さってくるのだけれど、だからといってループからは逃れられないのが「恋はデジャ・ブ」のようにはいかないところ。むしろスリル・ショック・サスペンス側です。側ってなんだ。
しかしこのループ、主人公ツリーの視点からすれば悪夢ですが、一歩引いてみれば明らかに救済なんですよね。「何度でも殺される」というのは逆にいえば「何度殺されても死なない」ということで、同じ一日を繰り返すという制限が仮になければ不死の存在であるとも言える。
父親との気まずい距離感、過去に関係を持った異性との面倒な付き合い、敵だったり味方だったりする同性との関係性…と火種がそこかしこに転がっている状態だけれど、作中の言葉にもあったように、繰り返すほど自分の行動を客観視でき、反省できるようになってくる。でも本当は、その反省を僕らは繰り返さない人生でもやらなきゃならない。
「今日は残りの人生の最初の日」という作中最大のキーワードにもつながるけれど、僕らのうち大半の人の人生はループしていないはずで(だよね?)、全ての出来事を初見で対応しなければならない。
自分の行いを振り返る。起きている現象から予想を立てる。予想に基づいて行動を起こす。結果から新たな学びを得る。
これは作中中盤からツリーが行い始めたことであり、そして同じような間違いを繰り返していた彼女がこれまでできていなかったことでもある。
襲いかかるベビー・マスクは未熟さのメタファーと捉えることもできるのかもしれない。
彼女は自分の中の未熟さ、言い換えれば幼さそのものであるベビー・マスクによって破滅しそうになっていたところを、反省と修正を繰り返すことで立ち直れた。
これはきっとそんなストーリーなのだろう。だから物語の転換点で描かれるのが、父親との和解なのだと思う。気まずさを超えて向き合う勇気を持つのが大人の振る舞い。その意味では、やっぱりその日はハッピー・バースデーなのだ。
それにしてもポスターがあれほどネタバレだとは思わなかった…ハラハラさせる映画なのに、配給側は肝が座りすぎている…。