【映画の感想】X-MEN ダーク・フェニックス
(前半はネタバレなし、後半はネタバレありです)
※フィルマークスに投稿した感想の転載です
X-MENの新作映画はせっかくなら過去作も復習してから観てみたいと思い、ファーストジェネレーションからアポカリプスまで一通り視聴してからようやく本作を観ることができました(旧三部作まではさすがに断念)
改めて通してみると、まず褒められるべきはキャスティングの妙で、誠実そうに見えながらも自信家の顔も覗かせるジェームズ・マカヴォイ(プロフェッサーX)、底知れなさを感じさせつつ悪役一辺倒にならない絶妙なバランスのマイケル・ファスベンダー(マグニートー)、不安定に揺れる少女から強い女性への変化を演じたジェニファー・ローレンス(レイブン)、隠れた目元の代わりに口元からさまざまな感情を見せるタイ・シェリダン(サイクロップス)、そして未成熟さと妖しさを兼ね備えたソフィー・ターナー(ジーン・グレイ)。
人間との共存か敵対かという二つの考え方の衝突が描かれるX-MENの映画において、各キャラクターも二面性が感じられる演出・キャスティングになっている点は興味深く、ともすれば性質が反転してしまいそうなハラハラ感につながっている。
ミュータントの能力を活かしたバトルの演出も堂に入っており、マグニートーのアクロバティックな金属ファンネル、異様に高威力なサイクロップスのオプティックブラスト、現れては消えるナイトクローラーのトリッキーな攻撃など、創意工夫に満ちた戦闘シーンは健在。
とはいえ、これでX-MENの最終作!とするには、宇宙の要素まで入る割にスケールが小さく感じられる。詳しくは後半のネタバレ感想にて。
アベンジャーズシリーズとは包含する規模も異なるので単純比較はできないけれど、せっかく旧三部作からリブートをするのであれば、もう少し作品と作品の間に関連性やテーマ上の共通性を持たせた方が良かったのではと感じる。プロフェッサーX、マグニートー、レイブンそれぞれの成長がそれに当たるのだろうけれど、もっと他の要素でもフックを持たせられたのではと。
どちらかというと、フューチャー&パストの方が最終作っぽい雰囲気が出てたのではなかろうか。
(以下スペースのあとにネタバレあり)
宇宙からやってきた敵は結局名前も出てきたのかどうか覚えていないけれど、X-MEN同士の内輪揉めに首を突っ込んで痛い目にあっただけというか…X-MENvsダークフェニックスの戦いを上手いこと着地させるためだけに登場させられたように感じてしまう。動機や事情もさらっと語られて終わりなのでエン・サバ・ヌール(前作のボス)よりも目立たない印象。何のために出てきたのだろう。
X-MENは個人が大きな力を持ったときに起こる社会的影響や個人の苦悩にフォーカスしたストーリーを一貫して作っているし、ジーン・グレイはそれを極大化させた存在として大きな意味がある。
プロフェッサーは大きすぎる力と不安定な心にバランスを取るためにジーンの記憶を封じたけれど、それは本人を信頼しないということだったのかもしれない。
レイブンはそれを責めたけれど、しかし記憶を封じなければ多くの人が犠牲になっていたかもしれない。
冒頭の救出劇でも端的に語られたように、複数の正しい考え方が存在するときの衝突、というのはこれまたX-MENに通底するテーマであり、深みがある。
であれば、プロフェッサーは「過ちを認めジーンに謝って許される」だけでなく、本人を信頼し過保護にしない教育方針に変える、みたいな描写がほしいなと。正しさのぶつかり合いに、ある意味で珍しく事象としての答えが出たのだから、それは大事にしてほしかった。引退してる場合じゃない。
ジーンがプロフェッサーを「愛するが故に行われたことであれば許す」ということで覚醒するのはメッセージとして非常に大きい。行為ではなく動機が大事、とも取れる。また怒りや不安による暴走を鎮めるのは許しの心、というのはとかく暴走しやすい超能力者達にとって胸に刻むべき金言だろう。
その結果として謎の不死鳥という概念存在になりました、というのはちょっと理解が追いつかない。何か彼女が得た答えに関連するような未来であってほしかった。アメリカ的正義の限界というか、宇宙人である敵は許しなど与える間もなく、相互理解の機会もなく分子レベルで消滅させられたし…。
レイブンは英雄としての立ち位置を受け入れ始め、公的な場でネタ的にスーパーヒーローという単語を用いたプロフェッサーとは違って立派なヒーローになりつつあったのに、今回かなり割を食っている印象。立場、振る舞い、死に様を鑑みると、学園の名前を変えるのであればジーングレイ学園ではなくレイブン学園が適切な気がする。
それと最初の方のレイブンの「ここでは女が男を守ってる、X-WOMENね」みたいな台詞は「またか…」感。何故ストーリー上の必然性の薄い台詞を、男女の対立を煽るかのような形でとってつけたようにねじ込んでしまうのか。反差別が根幹にある作品なら、その辺りは普通以上にデリケートなはずで。
そもそも本作はフィーチャーされているキャラクター(ジーン)も、敵の大ボス(謎の女=宇宙人)も女性であり、また作品内で一般から多くの敬意を集めているヒーロー(レイブン)も女性とかなり画期的な作品。またプロフェッサーは内なる傲慢さを暴かれ、マグニートーはジーンの下位互換であることを突きつけられるなど男性主要キャラは基本的に散々な有様(見せ場はもちろんあるけれど)。
そこまで作り込んでいるなら、直裁的な台詞ではなく作劇上の説得力で、活躍する女性を描いてほしかった。
あとはウルヴァリンが全く登場しないのは、最終作としてはあまりに寂しい…。
ということで、X-MENの最終作としてはちょっと物足りず、筋書きにもところどころ違和感。しかし役者一人ひとりの演技やアクションは間違いなく一級品なので、それを楽しみに観るだけでも価値はあるかな、と。