【映画の感想】凪待ち
(前半はネタバレなし、後半はネタバレありです)
※フィルマークスに書いた感想の転載です
香取慎吾? ああ、あの演技派俳優の人でしょ? え、こち亀? 忍者ハットリくん…?
そんな会話がなされる未来が現実になりそうな予感をもたらす本作。ギャンブルにのめり込み、自分の今後に対する期待を失い、裏切りと自業自得に苛まれる男を独特の存在感で演じている。あの体格の良さと整った顔の効果もあって、のっそりとした薄気味悪さとそれでも人を惹きつける陰鬱とした魅力に説得力が生まれている。
少し暗い絵作りも退廃的な雰囲気にマッチしているし、リリー・フランキーの某シーンは光の使い方が見事の一言だった。
津波という悲しみの記憶も新しい土地。
大勢の人の死と、たったひとりの死。
息苦しい人間関係と、共同体ならではの助け合い。
子どものような大人と、大人になろうとする子ども。
死にそうに生きている老人と突然死んでしまう壮年。
そんな表裏一体で切り離せない概念が、螺旋のように描写されては反転する構造で進められていき、主人公がその渦にどこまで連れ去られてしまうのか目が離せなくなる。
寄せては返す波のように振り回される筋書きの中で見える凪はどのようなものなのか、必見です。
大人って何なんだろう。多分みんなそれほど子どもと変わらない。普段は何とかやり過ごしているけれど、時には逃げ切れない痛みに耐えかねて不合理なこともするし、責任感とやりきれなさに声を荒げることもあるし、他人にすがって泣き喚いてしまうこともある。
そんなことを思った。
(以下スペースの後にネタバレあり)
郁男の苦悩は9割ほど自業自得だし同情できるかといえばなかなか難しい。それでも憎めないのは、彼が根っこからの悪人ではない「少し衝動を抑えるのが苦手なだけの人」であり、多くの人がそのような一面を多かれ少なかれ持っているからだろう。自分はあんな風にはならない…と思いつつ、心のどこかでそうは言い切れない自分がいる。みたいな。
自分がダメなことは自分が一番よくわかっているのに、そのダメなところを周りは殊更に指摘する。それで少しでも苛立つと、今度は苛立ったこと自体が新しい不愉快と不都合を連れてくる。
郁男のダメさに隠れがちだけれど亜弓もなかなかで、DV夫から逃れたかと思えば郁男みたいな男にまた引っかかってたりしている。DV男に罵られるシーンは、彼女もまた過去を背負っているということを明示している。
ギャンブル中毒の郁男、ダメ男に引っかかりやすく少し感情的な亜弓、引きこもりで不登校な美波、気難しく頑固な勝美。それぞれが火種を抱え、ぶつかっては高くなる波のようにさまざまな出来事が重なりながらたどり着いた凪はどれだけ尊いものだったか。
何かが大きく変わるわけでもなく、ただお互いが近くにいることを認識しながら、刺激が少なく代わり映えのしない毎日でも着実にこなすことの静かな尊さ。
そんな地に足のついた生き方の代え難さのようなものをちゃんと知っているのが大人であり、だからこそ凪であることに感謝できるのだろう。