【映画の感想】天気の子
昨今のアニメ映画ブームの火付け役とも言われる「君の名は。」の公開から3年、否が応でも期待が高まる新海誠監督の最新作を鑑賞してきました。
もはや誰もフラットな評価などできないのでは、と心配になったりもしたけれど、本作も更なる進化を遂げている。写実性をベースにしながらもファンタジーを溶け合わせる作画技法は、過去作よりもリアリティとファンタジーの振れ幅を大きくしつつも説得力のある絵作りになっており、更にそこへ忍び込むように入り込み、ぐいっと世界を広げる音楽の力もパワーアップ。
個人的にはこのリアリティとファンタジーの共存は新海作品の核になっていると感じる。
神話的な要素は人間の思いや真理を表現し、リアルな作画や実在の企業・商品の登場はそれが僕らの住む世界と地続きであると思わせる。それもまた彼岸と此岸。
主役二人、醍醐虎汰朗と森七菜の演技は特に素晴らしく、未成熟であるが故の不安と、無邪気な希望と、ひたむきさが伝わってくる。そして小栗旬はなぜあれほど上手いのか。藤原啓治さんがやってきた役柄が似合いそうなイメージが強くなった。本田翼は声も可愛いのでよいのではないでしょうか。
詳しくは後段のネタバレあり感想で述べるけれど、本作は「君の名は。」後の新海監督の思いが強く込められた作品であると感じた。
皆さんにとっての天気とは何なのか、そして結末に託された意味と、丸一曲が割り当てられ歌い上げられた言葉の意図はどんなものなのか。そのあたりを考えてみると、新海監督の思いが見えてくるかもしれない。
(以下スペースの後にネタバレあり)
この作品における天気とは、人々の気分や感情そのものであるように感じられた。そして天気に左右される人の感情というのは、世の中のムードに振り回される僕ら一人ひとりの気持ちのことなのかもしれない。
だからこそ、新海監督は「大丈夫」と言いたかったのだと思う。雨が降り続いても僕らは楽しくいられるし、雨ならば雨なりの生き方がある。もっと大きなスケールで見れば、世の中の形など時代によってことごとく変わってきており、どの時代も平等に狂っている。何故なら、基準となる時代など存在しないからだ。
他者の感情を背負って晴天を届けることは確かに尊いし、人工物がひしめく東京を光で美しく染めることもできるけれど、いつか自分自身を損なってしまうこともある。それよりも一人ひとりが自分のために祈りながら、世の中の形に流されない気持ちで生きることが大切なのではないか。
だからこそ本作の東京は元の姿が損なわれるし、「君の名は。」とは対照的に、世界の形が決定的に変わったまま終わる。「君の名は。」で描かれたのは、過去を書き換えてでも救われてほしかったという思いで、本作で描かれたのは、損なわれた世界でも大丈夫だという励ましであるように感じた。
太陽を求めるたくさんの人々が描かれた前半部と、雨の終わらなくなった世界でも楽しそうに生きる人々が描かれたラスト付近。作品全体を通じても、世界の形が変わったことが表現されている。
それにしても、須賀さん予告編では悪役かと思ったけどクライマックスはとても格好良い大人だった…
須賀さんのいう「世界は変わらずもともと狂ってる」も、帆高が見つけた「世界が変わっても大丈夫」もどちらも正しくて、世界が変わっても変わらなくても、世界に左右されずに自分と大切なものへの祈りを胸に生きていけばよいのだ、という風に僕は受け取りました。
いろいろな人の感想を見て回りたくなる作品。
おすすめです。