【映画ネタバレ感想】ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
(フィルマークスに投稿した感想の転載です)
この物語に出てくる登場人物達はとにかく魅力的。スターなのにメンタルが弱く泣き虫なリック・ダルトン、タフで自然体だがトラブルメーカーで仕事にあぶれているクリフ・ブース、天真爛漫で眩しいシャロン・テート。
パンフレットでは「リックとクリフは同じ人物の裏表」という言葉が書いてあり、図らずも「ファイト・クラブ」との関連性を想像してしまったけれど、リックは「成功しているがメンタルが満たされない人」、クリフは「成功していないが自分に満足している、受け入れている人」として対照的に描かれている。当人達からみればかけがえのない相棒だし、僕らからみれば二方向からの感情移入の対象になる。
感情移入は能動的なものと受動的なものの二つあると思っていて、前者は「こうありたい」というもの、後者は「自分と同じだ」と感じるもの。リックにもクリフにも「こうありたい」要素と「自分と同じだ」要素がそれぞれ存在するので、どの場面でもこの二人にすんなりと感情移入することができる。言うなれば、僕らはこの二人を入り口として、1960年代のハリウッドにタイムスリップすることができるのだ。
タイムスリップした先で見られるのは、今からすれば異質なヒッピー達の独特なノリと、生き生きと活躍するブルース・リーをはじめとした往年のハリウッドの活気。幸せいっぱいのシャロン・テートが自分の出演する映画で人々が笑うのをみて満足げに微笑んだり、リックがどん底から這い上がる姿だったりと、そこで生活している人々の喜びや悲しみ、努力といった「生活」が描かれている。
(以下スペースの後にネタバレあり)
その生活を破壊しようと忍び寄る影への対処は、現実の事件がどのような結末を迎えたかに比べるとあまりに映画的で、荒唐無稽だ。しかしそのツッコミはこの映画にだけは当てはまらない。何故なら、そもそも映画的に解決すること自体を目的とした映画なのだ。「映画についての映画」である今作の螺旋的な構造が、そこで収斂する。
クリフは自慢の格闘術を存分に発揮し、リックはかつての主演作での小道具を用いて吹っ切れたように振る舞う。「昔々、あるところに…(Once upon a time,)」から始まるハリウッドのおとぎ話が「めでたし、めでたし」で終わるために、登場人物達はそうありたい自分であることを成し遂げ、安堵のうちに幕を閉じる。
リックのストーリーとシャロンのストーリーはほとんど交錯しないまま物語は進んでいくことの必然性をなかなか理解できずにいたけれど、本作をおとぎ話と改めて捉えると腹に落ちる。
息の長いスターになれず消えていった無数の俳優達。幸福な生活を目の前にして死ななければならなかった悲劇の女優。時代の大きな変化の中で翻弄されてしまった人達が、まるで映画のような奇跡の中で、めでたい終わりを迎えることができていたなら。
そんな子どもじみた夢物語も、映画を通じた祈りならば立派な作品になる。それがタランティーノの信じた映画の力なのではないか、などと考えたりした。
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