SNS時代の倫理及び思想の毒性。

まとめサイトなんかを眺めていると、ついつい家族問題系のまとめをクリックしてしまう。そこで語られるのは古今東西よくある話で、やれ不倫だ、やれ姑とバトルだ、といったエピソードが並んでいる。

うーん。
毒だ。

いや、もし自分がそのような状態に陥ったらどう対処すべきかとか、そういう観点では有用なのだろう。しかしどちらかというと、そのようなエピソードに多分に含まれる偏見や決めつけに毒されるリスクの方が高いような気がする。

Twitterでは今日もジェンダー絡みのバトルが繰り広げられている。興味深いのでときどき眺めているけれど、それらの言説に触れることで得をした、役に立った、という経験はほとんどない。もちろん学術的、思想的に価値はあるのだろう。しかしそれが一般人の生活のうえで実用上の意義があるかというと、毒の方が強いと思う。

思想は濃縮されるのだ、簡単に。
それを防ぐためには相当な訓練が必要だけれど、その訓練を受けたはずの大学教授なんかが偏見を垂れ流していたりするのだから始末に負えない。

一度自分好みに方向付けられた思想から距離を置くのは難しい。大抵は似たような意見を持つ人同士で、お互い認め合いながら相互に先鋭化を進めていくことになるだろう。ふと気づけば随分遠いところまで運ばれていて、引き返すことも億劫になる。

自分の思想を自分で刺し殺すだけの覚悟を持って思想できるか。そうでないなら確固たる信念なんて持たない方がよい。思想を本気でやるのでなければ、こだわりなんてものは捨てるほど健全に生きられる。

今の時代、他人の意見は掃いて捨てるほど転がっている。自分に都合の良いものだけどピックアップして、砂上の楼閣で悦に入ることもできる。

自分の意見にこだわりを持たないこと。SNS時代に一般人が健全に生きるうえでのコツはそんなスタンスになるのではないかと思うのだけれど、そんな悟りめいた新しい倫理を身につけることもこれまた難儀な話である。

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