左利きの日
私は左利きだ。
こう言うと
「それは不便でしょう」
と返す人が多い。
ところが、私は不便だと感じた事はほとんど無い。
私の両親は、左利きのハサミの存在を知って、私の利き腕を変えるのをやめた。
学校で小刀を使う授業になったとき、担任の先生は、近くの文具店に左利き用の小刀が入荷するまで待ってくれた。
今では両利き用の文房具や調理器具が、100円ショップで手に入るようになった。
子供の頃は、絵を描くのに夢中になっていた。
大人になった今でも書き物をすれば、字がきれいだとよく褒められる。習字でもやっていたのかと聞かれることがある。
うまく動かせない右手を動かすことにこだわっていたら、こういう長所は埋もれていただろう。
冒頭で、左利きでも不便に思った事は無いと書いた。
ただし、不快な思いをした事はたくさんある。
居酒屋でアルバイトをしていたとき、注文を取りに席に向かうと
「あんた左利きだね」
と、少し酔った客に言われた。
「私の両親は直さなかったんです」と答えたら、
「親のせいにしちゃだめなんだよ!」
大声で説教をされた。説教の主は、何故か満面の笑みを浮かべていた。
またあるとき、銀行で書類を書いていた時に
「左で書くのね」
と、たまたま居合わせた老婦人に言われた。
「私の時代は叩いてしつけたのよ」
聞いてもない事を彼女は言った。
彼女もまた何故か、満面の笑みを浮かべていた。
利き腕のせいで少し困った経験が無いわけではない。しかし、心無い言葉で傷ついた経験のほうがずっと多い。
一つお願いしたい。
左利きの人が何か作業をしているとき、所作が多少右利きの人と違うからと言って、それを「不便」だと決めつけないで欲しいのだ。
やり方が少し違うだけで、ハサミも使えるし文字も書ける。私は少しも困っていない。
所作が違う事を不便であると決めつけて、右利きよりも困難な世界にいるように語らないで欲しい。それは、左利きの人間は右利きよりも劣っている、と言いたいようにしか聞こえない。
もし不便に見えるのであれば、利き腕に関係なく使える道具を開発してゆけばいい。
右利きの人であっても、怪我をして利き腕が使えなくなる事があるだろう。そんなときに、身の周りの道具がすべて両利き用になっていたらとても助かるはずだ。
昔ほどでは無いにしろ、まだ社会は左利きにとって居心地が悪い。
駅にエレベーターがあるように、看板に外国語の案内表示があるように、どちらの利き腕でも生活しやすい環境になるだろうか。