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To "B"
世の中って理不尽で、ちゃんとしてもちゃんと結果がかえってくるとは限らない。人間が絡むと大体そうだ。そもそも大体が人間が絡んでるんだろうけど。
プログラムだったら明白で、Aという値をいれたらBという値が返ってくるように作ることができる。それで大丈夫だ。だけど、人はそうはいかない。Aという生産物に対して、Bっていう結果を期待してもBではなくCが帰ってくるときもあるし、なにもないときだってある。
絵を描いていると、よくあるよね。自分にとって最高の出来だと思ってTwitterにあげた絵なんだけど、反応がなかったりとかさ。ああいうの、何を持って結果っていうのかなって。
でもそういうの「今の自分でがんばった精一杯の結果がこれだった」って今思えるなら、それでいいんじゃないだろうか、と思う。そして、その結果って、本当に見せたい人って絵の場合は一握りなんじゃないかな、って実は最近気づいた。いや数も大事だけど、それ以上に届けたい人がいる。その人へのギフトだと思うといい、って他人を意識することについて、友達の絵描きから教えてもらった。
精一杯やった結果とは別に、力を出しきれずに終わったときのことのほうが、落胆すると思う。少なくても僕はそうだった。落胆するもんだ。自分はもっとできたはず、そう思ってしかたない。だけど、精一杯やった。結果もでた、それじゃこれ以上は無理だった。この時の僕はこれが最高だった。それがまさに今、てときならそれでいい気はする。と思う。
四年前に初めて描いた同人誌、漫画、僕の中ではそのときは一番良く出来た本だった。続きを買ってくれる人はそんないなかったけど、自分の中では最高の出来だった。今みたら目もあてられなかったりするんだけどさ(それを手直ししてあげようとしているわけだけど)。
今が最高という事実を目の当たりにできているだけで人生はハッピーなんじゃないだろうか。目標は自分の頭より少し高く、それを続けていけばそのうち神になれるかもしれない。し、なれないかもしれないし。五年後どうなってるかなんて、わからない。
こないだ飲んだ元同僚、もう今は友達かな。彼は45になるらしい。彼と初めて出会ったのは16年前。僕は彼にその時「10年後、どうしてますかねえ」って聞いたけど、16年後、僕らはこうして生きてお酒を飲んでいる。16年前に限界までがんばったことは、今の僕ならたやすくできるけど、今の僕が限界までがんばったことは、16年後の僕ならもっとたやすくできるのだろうか。
がんばったなら、それでいい。自分が最高の結果だって思うなら、それで胸張っていいと思う。その結果が相手にとってそうでなかったとしても、それは相手の思い次第だ。Aと入力してBが返るように作ったとしても、他人はBをBと認めなかったり、後からCが欲しいと言い出したり、僕がBが返るようにしても、僕が知らない別な要因でBが相手が望むBじゃなかったりするかもしれない。中にはBを依頼してBがちゃと返るようにしても、Bと認めないで辛く当たる人だっている。かんべんしてくれよ、とも思うけど、それが現実。そんなもんだ。
理不尽って捉えるかどうかは人それぞれだけど、その理不尽に負けないようにどうするかは自分次第だよね。
僕はこれからも限られた条件と制限の中で自分ができる最高のBを作って行こうと思う。
To B Continued、って感じですかね。