フシギソウに進化する前にミュウツーのサイコキネシスを食らった絵描きの話
普段Twitterで創作クラスタの世界で交流してると、たまーに流れてくる。
「他人の反応気にしてると創作してて辛いよ」
「フォロワーはファボやRT生産機じゃないよ」
「やるなら楽しんでやろう」
この発言は真理だ。反応は気にしない、フォロワーとはピュアな関係でいたい。自分の創作は楽しくやろうな。
これがみんな守れてればそんな辛いことないと思う。なんて綺麗な世界だ。創作で荒れ狂うこともないし、おかしな諍いも起きないだろう。創作超楽しいね。
「なるほど完璧な作戦っスね―――ッ
不可能だという点に目をつぶればよぉ~~~」 by ジョジョの奇妙な冒険 第4部
創作クラスタ20年やってるけど、そんなことはない。だって僕評価気になるし。フォロワーに見て欲しいし。
でも創作楽しいんだよなあ。やめようとはおもわない。それでもやめよっかなと思う時はきてしまう。なんでかって。僕はこう思ってる。
「自分の創作意欲は自分6:他人からの反応4でできている」
完璧な人間になりたいよ。最高に幸せだろう。完璧な自給自足できればどんな幸せか。正直Twitterやインスタグラムのnotification、ファボだのRTだのの項目取っ払って欲しいくらいだ。
ところが残念ながら僕はインターネットっていう海におけるロビンソン・クルーソーじゃない。反応は気になる。TLにフォロワーはゼロじゃないし、同人誌もだしたら何人か買ってくれるひとはいる。誰かが見てくれているっていうのも知ってる。ただ自分の創作意欲、ゼロになったらペンをおくだろう。それでも今続けていけるのは1になることはあっても0になることがなかったからだ。僕は幸せなことにそうなる前に誰かが声をかけてくれる。ある程度自分のこともわかっているから、少し休めば0にならないだろうことも知っている。
ところが現実は非情だ。僕の絵にはファボもRTもつかないときがある。感想はこないのが普通だ。相手に届いたかどうかもわからない。同人誌は……買ってくれたのがわかるからいいけど、そこから先はどうだろう。
世の中には想像を絶するほど反応がない創作物というのが存在する。そしてそれを量産しつづけている創作クラスタがいる。だからといって決して上達することに無関心かというと決してそういうわけではない。絵を描き始めたばかりのころ、そして二年前、一年前、半年前、先月と比べてもあきらかに上達はしているのだ。
その一方で反応をたくさんもらえる絵を生み出す人間がいる。彼らは一枚の絵に70、80っていう反応がくる絵を息をするように描いていく。それがレベル500の絵描きさんたちだ。
そういったレベル500の絵描きさんは強く主張する。「反応気にしたらつらいからやめとけよ」「フォロワーは反応するための機械じゃないよ」「自分のために描け」ってね。だけど、レベル20の絵描きにそんな言葉を言ったところで、なにになるだろう。そこそこ描けるようになった絵描きにとって励ましになるのは見てくれた人の反応だよ。僕はレベル20くらいなので、一言だけでも頑張ろうと思ってしまう。単純だからね。でもこない。ないよ。本当に。ないんだよ。6:4の4のところが0になるなんてしょっちゅうだ。。やべえぞ。6がんばれ。
その苦しみはレベル500の絵描きさんには、きっとわからないんだろう。彼らは日常的に反応をもらっているからだろう。だから僕の苦しいっていってる言葉は理解されないし、僕には彼らの言葉が理解できない。なんでそんなこというんだろう。そんな声をなぜ放っているんだろう。
それは彼らとは自分が抱える苦しみを共有できないからだ。なんてこった。僕は日本人とつながったはずなのに彼らの日本語が全くわからない。
誰が好んで大切なフォロワーを反応くれる機械だと思うだろうか。そこまでのことを言っているだろうか。ただもらえたら嬉しい、6だけでも楽しいけど、4があったらきっともっと楽しいだろうし、創作を続けていこう、頑張ろうって思えるよね、その程度のことを言っているだけなのに。
「そんなことも君には伝わってなかったのか」「本当にごめんな。そんな風に思わせてしまって」 by 秒速3センチメートルの公式
レベル500の絵描きさんのいう通りにできるのが理想的だが、彼らの言葉はレベル20の絵描きにとってはただの暴力だ。世の中には創作やめられない苦しさを抱えながらそれでも絵を描いている絵描きだって存在しているんだよ。
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