見出し画像

オーストラリア先住民について

どうもどうも。

今日は、オーストラリア先住民について深く考える機会があり
これまでもアボリジナルの人々が多く住むこの地に住んでいて考えさせられることが多くて、それを言葉にして整理しようと思い書いています。

まず、今日起こったのは語学学校での授業中のこと、話題はアボリジナルの人たちについてだったのですが、一人の女性が彼らはただレイジー(だらけている)だけだ、今の状況がなければ彼らは今のテクノロジーを使える環境にないし、過去についてずっと批判をし続けるだけで、メリットを見ようとしないし将来をみていない。という趣旨の発言をしていました。
正直、衝撃だったしクラス全体も動揺している感じでした。その人はここにきて数週間の人でおそらく何もここの歴史について学んでいないと思うのですが、それにしてもストレートで強烈な発言だなと衝撃を受けました。
そこで数人のクラスメートがそれに対していくつか反論をしていましたが、彼女は結局意見を曲げる様子はなさそうでした。。。

そこでまず自分が後悔しているのは自分の意見を言えなかったこと。この問題について日ごろから考えてきたにもかかわらず、何も意見できなかった自分がとても情けないし、英語力含めて力不足を痛感しました。同時に、まだまだこの問題に対して自分の意見を言語化できていないのも事実だなと感じ、今回この問題について自分なりに考えていることを書いてみたいと思います。

私はオーストラリアのダーウィンという都市にいるですが、ここがほかの都市に比べて圧倒的にアボリジナルまの方々の比率が多く、人口の30%程を占めているようです。(地域によっては50%以上になります)
なので、日常生活で彼らと関わることが多く、大学で文化人類学を専攻していたこともあって、彼らがどういう風にこの社会で生きているのか、共存しているのかということを考えています。

まず、実際に感じている現実を端的に上げると
・彼らとほかの人たちの生活スタイルは大きく異なる
 ⇒家を持たない人も多く、野営して生活している
・問題(非行行為)を起こすことが多い
    ⇒酒に依存している人も多く、暴れたりする人も多い
・彼らを避ける(距離を置く、関わらない)という行為は日常生活で多くみられる。
 ⇒バスで暗黙の了解で、後方にはアボリジナルの人が集まって、前方はそれ以外の人が座っている傾向にある。なにか問題が起きたら、アボリジナルの人がやったの?とまず聞くし、そう考える人が大半。

というように、彼らに対する評判は決していいものではありません。一方で彼らはとても陽気で笑顔で話しかけてくれたり、バスに遅れそうになった時に助けてくれたこともあったりと、もちろん一概にネガティブな存在であるとは言いたくないです。
個人的に決定的な原因は、"生活スタイルの違い”だと思ってて、彼らはもともと定住せずに狩りをしながら住む場所を移動する民族だったこともあり、その場その場でねぐらを見つけて木陰で集まって団らんしたりそのまま寝たりという生活を今でもしています。
僕はこれがほかの国の先住民との違いの一つだと思っていて、「彼らの生活スタイルが昔のまま維持され、現代社会とうまくかみ合っていない状態」だと感じています。それには理由があって、おそらく植民地による強制支配下で狩りの対象となったりロストジェネレーションと言われた、白人同化政策によって徹底的且つ長期的に迫害の対象となったこと。それによって、彼らは白人の植民地支配が始まった1800年代の頃から今まである意味時が止まっている。というのが原因の一つだと感じています。
どういうことかというと、他の国の場合、植民地支配の歴史があっても、原住民へのある種の同化政策は決して長くは続かず、その後彼らへ土地が返還されたり、彼らとの共存の道を進み始めるケースが殆どであり、その場合は彼らは自分たちの生活を再開し、その中で現代社会への適応も始め、いわゆる一般現代社会の生活スタイルに馴染んできたのかと思います。
一方で、オーストラリアの場合、同化政策は1970年頃まで続き、今なお決して補償されきっていない迫害と戦っています。つまり彼らには現代社会に適応する時間も機会もなく、強制的に現代社会に組み込まれた状態になっているのです。
その結果なにが起こっているかというと、都市で家を持たずに野営し周りからはある種の野蛮な人たちという目で見られる、手頃に手に入れられるアルコールに依存し非行に及ぶ、それをみて育った子供たちがそれを真似る。。。
国全体としては、うまく共存している、現金給付などで彼らの生活を保障しているという印象を与えているものの現実は決してそんな綺麗な状況ではないです。

今日、クラスメートがそれは過去のことだと言っていましたが、個人的にはこの問題は決して過去の出来事ではなく、1800年代から今なお続く大きな問題だと思います。
もちろん、過去にいつまでもこだわっていては先には進めないのも事実です。が、彼らにとってはこれは決して過去のことではなく今なお続く問題でありそれが解消されない限りはオーストラリアとして理想的な将来は訪れえないだろうと思います。

では、この問題の解決の糸口は何なのか、、これは自分の中でもいまだに分からないですし、誰か知っていれば早々に解決されていると思うので、本当に複雑な問題なんだと思います。ただ一つ言えるのは、「まだまだ時間が必要である」ということ。決して何かを機にもうこの問題は解決したことにしましょう。とはできないですし、本当の意味で彼らと共存するには双方の価値観が近づかない限り成しえないことだと思います。それにはもっと時間をかけてお互いにとって心地よい共存の道を探り合い、心地よい塩梅の関係を見つけ出すしかないのかなと。。。。
そのうえで我々にできることは、過去の出来事を決して忘れないように学び・考え・伝えることなのかなと。「歴史は繰り返す」と言われますが、昨今の世界情勢をみると本当にそうだなと感じることも多くあります。未来を創るにはこれまで我々はどういう失敗・成功をしてきたのかを学ぶことが大事だなと感じます。

ということで、今自分が日ごろモヤモヤと考えていることを何となく言葉にしてみたのですが、やはりまだまだぼんやりしていてうまく表現できていないです。。。。
ただとりあえず現状はこの段階ということで、ここで暮らしていく中でこの問題についてしっかりと見つめて、自分なりの明確な考えを示せたらいいなと思っています。

そんなことを考える今日このころでした。


   

いいなと思ったら応援しよう!