心だけここに置いて
9月から10月に変わるころ、どうしても心が保てなくなってしまった。
いろんなことがおろそかになって、苦しむ心を守ることで精一杯だった。
でも、「生活をする」ということは、食べる、仕事をするなどやらなければならないことがあって、心の存在を忘れてたんたんとこなした。
そのうち、心が保てなかった原因は解消されていた。
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たんたんとこなす、という部類に入るのかはわからないけれど、9月にはいって強制的に自分を鼓舞して行った「毎日ブログを更新」(私の場合は記事やグラレコ含む)をはじめたときは、頭の中が整理されていくのを感じていた。
このたんたんとは、心が通ったものだった。
昔、一緒に働いていた同僚が「めっちゃストレスがたまったときは、紙にイライラしたことを全部書くとすっごいスッキリするからオススメ!」と言っていた。
その言葉にしたがって、ムカつく上司のグチやぶりっ子同僚のイライラを紙に書いてみたらスッキリしたことを覚えている。
「紙にペンで書く」という行為自体もストレスを吐き出すという意味で良かったのかもしれないけれど、9月に行った毎日何かを発信する=頭の中を整理するというのも同じような効果があったのかもしれない。
だからこそ、今回の苦しい心のうちも書けたらよかったのだけど、あまりにも自分のこと過ぎたのでやめてしまった。
というか、書けなかった。
苦しすぎて。
考えてもしょうがないことは考えなければいいのだけれど、どうしても考えてしまったり切り替えができないのが人間だよな、なんてことを思ったりして、そういう状況に陥ったときくらいは自分を大目にみてあげることにした。
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ことばをつづるということは、頭の中を整理するのと同時に、心をそこにいったん置いておくことかもしれない。
何かに打ちひしがれてどうしようもなくなったとき、それはもう時間しか解決しないと思っているのだけれど、そのあとほんの少しでも何かを変えたいと思ったときに文字やことばとしてつづると、頭を整理して、心を置いておけるのかもしれない。
そんなこんなで、9月の終わりから3日も経って、やっと書いているのです。
2018年もあと3ヶ月。
私を取り巻く環境も少しずつ変化しています。
どこかでみた誰かのことば
「大きな成果を出すためには、小さな欲求を我慢する」
(↑こんな雰囲気だったけど、たぶんちがう…)
つい、寝たい、歌いたい、遊びたい、食べたいなどの欲求に負けてしまいがちだけど、自分が何をしたいのかを明確に把握して生活しなければ。
そして、頭を整理したいときや心をいったん置いておきたいとき、前に進むためにことばをつづろう。
秋を越えてやってくる冬までに、なりたい自分に少しでも近づけるように。