「推し」を通して観るショパコン
今年は5年に一度の『ショパン国際ピアノコンクール』(通称:ショパコン)開催年である。コロナ禍により一年延期となったが、今年は、7月に無事予備予選が始まった。この予備予選から動画配信で視聴できるので、私の昼休みはすっかりその鑑賞会となった。
予備審査通過者152名のうち、日本人は31名。どうやっても1時間の昼休憩で見られるのは2名の途中が限度なので、日本人を中心に見ているのだが、すっかり彼らの親戚の心持ちだ。一人30分程度の持ち時間で、課題曲6曲を弾く。1曲目では顔が硬直しているように見えるが、2曲目、3曲目を弾くうちに、素人の私でも分かるほど表情が変化していく。華やかなドレスに対して無造作に束ねたヘアスタイルの出で立ちで、優雅にノクターンを奏でる指に反し、汗だくのその姿から、彼らにとってここは孤高の戦場なのだと想像させる。すでに国内外の知名度の高いコンクールでの入賞歴があったり、名うてのオーケストラと何度も共演経験があったり、あるいは音楽大学ではない異色の経歴を持った演奏者たちが、みな等しく88鍵を通して、ショパンやその作品と対話している。
そのうち、私好みの演奏をする演奏者が気になり、彼らのバックグランドを調べ、SNSでフォローするようになった。何より彼らの選考通過や次の演奏を心待ちにするようになっている。ご贔屓、今風の言葉でいえば「推し」が出来るとはこういう感覚なのだろうか。
数年前、日本のある国際ピアノコンクールを舞台とした小説が直木賞を受賞し、映画もヒットした。
映画を通じ、演奏とは登場人物の生き方や考え方の、一瞬の至上のパフォーマンスとして凝縮されているのだと知ると、こちらの胸も熱くなる。そして、無名の演奏者が一段一段階段を上がり、その頂に立つ瞬間を、手に汗握り応援したくなる。
10月から本選が始まる。「推し」が勝ち進んでいくのを楽しみに応援したい。
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