SF小説『ONLINE -オンライン-』
第一章 失踪人、探します
時は207X年。
あなたが、どの時代の人かは知らないけれど、今、私がいるこの世界は2つの別々の世界で成り立っている。1つの世界は、すべてがオンライン化された世界。ヒトもモノもすべてが繋がって動いている。通称、「ユートピア」。もう1つの世界は、すべてがオフライン。つまりバラバラで何もかもが繋がっていない世界。通称、「デストピア」。未知で野蛮で恐ろしいところだと学校で教わった世界。
わたしはエイル。もちろん、ユートピア生まれのユートピア育ち。ごくごく普通の25歳。「あること」を除いては。
私は、ふつう。中肉中背で、平凡な顔立ち。20代半ば、性別は女。大学を出てからは、エンジニアとして働いている。見た目からは、たぶん私が普通じゃないことは分からないと思う。一人暮らし。恋人はいない。最近分かれた。家族は、母親と弟がいる。でも父親は…いない。正確に言うと、私の父親は、私が幼いころに「失踪」した。何もかも持たずに、私たち家族を残して。でも勘違いしないでね。父親がいない人は、私が育ったユートピアでは珍しくない。大昔とは違う。
私が「ふつう」じゃない理由は、父親が失踪して、行方不明だから。この、すべてがつながっているはずのユートピアから、父親の存在が消えてしまった。それは、ユートピアのシステム上、ありえないこと。
世界から、なぜか「消去」されてしまった。そんな父親の娘。それが、私がふつうじゃない理由。
私の父親は、家族へのメッセージを何も残さずに失踪した。膨大な数のアーカイブだけを残して。アーカイブは、父親の集めていた本で埋め尽くされていた。小説、電気、歴史、科学…色んなジャンルの、他人が書いた本。父親が書いた日記や手紙の類は一切無かった。
父親の行方について、何か痕跡が残されていないか、アーカイブも警察の捜査対象になった。結局、父親の手がかりになるものは何も見つからず、何も価値がないと見なされたアーカイブは、私たち家族の元に戻された。
昔は違ったらしいけれど、今の時代、誰も本なんて所有しない。ましてや、あんな膨大なメモリを占有するアーカイブなんて、一般人の私たちが所有することは許されていない。なぜ、私の父親が、そんなアーカイブを所有していたのか、所有することが許されていたのか。私には不思議だった。でも、父親のアーカイブについて、母親に質問することはタブーで、私は誰かに聞くことも、説明を求めることもなかった。父親は有名なシナリオライターだったと聞かされていたから、それで膨大な数の本を所有することが許されていたのだろうと私は信じていた。
父親のアーカイブにアクセスして、中にある本を読むことは、いつからか、私の習慣にもなっていた。幼いころは、父親がいない寂しさを紛らわすために、でも今は、寂しさとは違って、むしろ自分の欠けている一部を知るために、私はアーカイブにアクセスする。
ある土曜日の午後。いつものように、私は、読みかけの本の続きを読むためにアーカイブにアクセスした。そして、いつものように、目の前に扉が現れる。私は扉を開け、その先の書斎へと足を踏み入れる。入り口から真っ直ぐに部屋の中を進み、デスクに収まっているイスを引き、そのイスに座る。
右側の一番上の引き出しから、先週まで読んでいた本を取り出そうとして、その下の2番目の引き出しが少し開いていることに気づいた。
「あれ?」
2番目の引き出しを触った覚えはなかった。私以外にアーカイブに入る人もいないはず。おかしいなとは思いながらも、私は2番目の引き出しを開けてみた。
その中には、一冊の分厚い本があった。その表紙には『ONLINE』とある。著者は記されていない。父が書いた本だろうか?表紙をめくり、1ページ目を見る。
『この物語は今から50年後、そう遠くない未来の物語。21世紀前半に最盛期を迎えたインターネットにより、あらゆるものは1つに繋がった。やがて、人々の精神世界もオンライン上へ完全移行され、「オンラインユートピア」という世界が構築された。
かつてバーチャルリアリティ(仮想現実)と呼ばれたオンライン上の世界は、リアリティ(現実)として人々に認識されるようになった。そして…』
私はそこまで読んで、本を閉じた。内容は、まるで歴史の教科書。つまらない。本の裏表紙を見ても、著者の情報は何もなかった。
ひょっとしたら、あとがきが書かれているかもしれないと思って、裏表紙からページをパラパラとめくってみた。すると、紙切れが1枚落ちてきた。この本に挟まっていたのか。
床に落ちた紙切れを手に取ると、そこには文字が書かれていた。
『失踪人 探します。 online-detective@xxxx.xx.xx』
注意深く、紙切れに書いてある文字を読み直した。印刷された文字。見覚えのないアドレス。不思議だ。そもそも、この世界、ユートピアでは失踪人は存在しないことになっている。現に、私も自分の父親以外に失踪している人など聞いたことがない。それなのに、失踪人を探します?まるで、私にあてたメッセージのよう。
私は左手首につけているウォッチ(腕時計)のつまみを調整して、内蔵されえている小型カメラを起動させた。すると、紙切れに書いているアドレスをウォッチが読み込む。カメラ機能からプロジェクタ機能に切り替わり、程なくしてウォッチはビルが立ち並ぶビジネス街の一角を映し出した。私はウォッチのつまみを調整し、そのビル街の一角を拡大する。アドレスの場所には事務所があり、看板が掲げられていた。『ONLINE DETECTIVE』と書かれている。オンライン探偵。この探偵、どうやら本当に実在するらしい。
もう一度紙切れを確認した。『失踪人 探します』と書いている。私は、失踪人である父親に会いたいのだろうか。そう自問自答してみても、よく分からない。幼いころ、何度か父親について母親に尋ねたことはあった。
父親は有名なシナリオライターで、コーヒー片手によく書斎にこもっていたことや、私は父親に似てお酒が強いこと、それぐらいしか聞かされていない。父親の顔は、なんとなく覚えてはいる。でも、その記憶にある顔は20年近く前の顔で、今も同じ顔でいる保証はない。正直、実際に会えても父親だと認識する自信はない。
このユートピアでは、ビジュアル操作は簡単にできる。遺伝子情報の許す限りではあるが、ビジュアル操作して若々しく見せることも、逆に老けて見せることも、お金さえ払えば直ぐに可能だ。だから裕福な人々は、ありったけのお金をつぎ込み、自分のビジュアルをできる限り自分の理想に近づける。私の父親もなんらかの理由で見つけられたくないのであれば、それこそ何らかの形で、ビジュアル操作をしている可能性は十分にある。もちろん、ビジュアル操作は当人がもつ遺伝子情報の許す限りなので、まったくの別人のビジュアルをもつことは、法律上、許されない。
失踪人...父親…。
「エイルはさあ、結局、俺に父親を求めているよね。」
分かれた彼氏が、最後に残していったセリフを想いだした。そう言われて、何も返す言葉が見つからなかった。私は、失った父親を取り戻したいのだろうか?父親に会いたいのか、それとも会いたくないのか?
一晩悩んだ末、私は自分の好奇心に従うことを決め、翌日、仕事の合間に「オンライン探偵」を訪れた。
私は「オンライン探偵」の事務所につき、まずは外側から用心深く観察した。残念ながら、外側からは中の様子は何も見えない。あきらめて、扉の「開」ボタンを押すと扉が自動的に開いた。
「こんにちは。」
カウンターの向こう側から声がし、奥から声の主が顔を出した。ワイシャツにネクタイをした若い男性…、いや、女性かもしれない。
「私、この事務所の所長、ジェイといいます。今日は、どのようなご用件でしょうか。」
「『失踪人 探します』という広告を見かけて、来たのですが…」
私がそう答えると、ジェイ所長は一瞬目を丸くしたかと思うと表情を緩めて微笑んだ。
「なるほど、失踪人ですか。ゆっくりお話を聞かせていただけますか。どうぞ、こちらへ。」
そして、私はカウンターの奥へと案内された。