創造する提供者たち
ショートムービーを主体としたソーシャルメディアが人気だ。
あるミュージシャンが楽曲を投稿している。
再生回数が多いものをひとつの作品として発表するという話をしていた。
再生回数が少ないものはひとつの作品として表舞台には現れない。要はボツである。
指針となるものが再生回数ということらしい。
昨今のサブスクリプションにおけるマーケティング、制作、提供という点においては非常に興味深い考え方とも受け取れる。
90年代を中心に音楽を聞いてきた者としては非常に驚きである。
驚きというのはポジティブな意味ではない。
その制作方法では作者から感じる喜怒哀楽がなかなか伝わってこない。
特に哀しみ、悲哀を感じない。
サブスクは利用している。
新たな出会いもある。
そこで新たに出会ったとあるバンド。
後に1人のミュージシャンによるソロプロジェクトだと知った。
そのミュージシャンのプロジェクトは幕を閉じた。
最近、出会った音楽の中で特出するサウンドだった。
世の中に対してなのか分かる術はないが、怒りのようなものが感じられた。
それに相対する哀しみも感じ取れた。
素晴らしい出会いだっただけにソロプロジェクトの終了は残念だ。
周りの音楽好きにそのミュージシャンを知る者はいなかった。
前途したように昨今のエンターテインメントにおける指針は再生回数にあるのだろうか。
そのミュージシャンはソーシャルメディア上で
「活動期間中、一度もバズらなかった」
と、呟いていた。
その怒りの様にも見受けられた嘆きは、
哀しみだったのだろうか。