人が本来持っている思いやりを感じなくなった時、そこに居てはいけない
無い物ねだりで他人に執着し、異常な興味関心でプライベートに踏み込み、求めていないアドバイスで私を縛る。逃げれば待ち伏せと悪口で付き纏う。
現職の他者監視の村とも言える組織に、長年居たせいでいつの間にか、人に恐怖心を持ってしまっていた。
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転居先に持って行くPCを左肩に掛け、右肩には大事なものを入れたカバンを掛け、普段使いのカバンを手に持ち、手すりに捕まっていた。
体幹の弱い私は電車でスマホをすることは殆どなく、つり革や手すりにしっかり掴まるタイプ。
この日もそうしていた。
ところが、電車が急停車したものだから、手すりを軸に一回転し、前に座っていた細いおばあちゃんと若い女性の上にひっくり返ってしまった。
途端に私は「ヤバい嘲笑のネタになる、怖い」と思い目をつぶった。しかし、私が「すいません」を言うより先に若い女性が「大丈夫ですか?」と助けてくださり、おばあちゃんが「怪我してないかい?」と私を支えてくれた。
いつの間にか私は「人は優しい」を忘れ、「何言われるかわからない、人は危険」と恐怖心を持ってしまっていたのだろう。
ひっくり返って迷惑をかけてしまったが、人は思いやりを持っていることを思い出した。
「すいません、ありがとうございます。大丈夫です。」
そう言ったあと、本当に現職と言う村から出てよかったと感じた。
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3日で転居しなければわならなかったから、とてつもなく忙しく、疲労困憊で気を失いそうになる日々だった。
その中で、
洗濯機の取り付けに来てくれたアルバイトのお兄さんが、宅配ボックスの開け方を教えてくれて、中の荷物を運んでくれたり、
ネット工事の人が家具設置のお手伝いをしてくれたり、
人って優しかったと幾度も思い直した。
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山手線で、私の前に後ろ向きで立っていた細くて背が高く綺麗な格好の女性のスカートがめくり上がっていたから、降車時にそっと告げたとき、
「ありがとう」とかわいい笑顔を返してくれた。
この時、私は久しぶりに人間の笑顔を見た。
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いつの間にか、
電車で転ぶことも、
引っ越しの片付けがおいつないことも、
「またネタにされる。」と恐怖になってしまっていた。
会社に行くのが、恐ろしかった。
人は危険で怖かった。
「会社の人が怖い」と社内の何人かに話すと、
「俺もこの部署の監視が怖い」
「あの人、どこにでもいて、私も付き纏われている」
と共感の声ばかりで、監視する村のような組織だった。
恐怖心を持ちながらでも頑張って生きようと思っていたが、その必要はなかった。離れて気付いたこのは、離れるべきところだったということ。
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閉鎖された空間にいると、人は誰かに執着したり付き纏いを始める。
それが多数になると正義となり村ができることがある。
誰もが誰かの目が怖くなり、観察されないために監視し、告げ口する方に回る。
それは今、戦時中のロシ○国民が自らの反戦の意がバレないように他者を売るかの如くである。
現職はそんなところだった。
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本来、お互いに距離を持ち、
お互いに優しく、助けあっていくのが人だろう。
それは「宅配ボックスにある洗濯機の嵩上げを取りに行く」と言って、中々戻らない私を見に来てくれたお兄さんのように。
「困っているかも、見に行こう。」
そういう単純な感覚。
現職と言う村では、誰か困っている、ウケる、笑おう。自分がネタにならないために。
そんなところだった。
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転んだ時に「痛い」ではなく、「怖い」と感じたら、きっとそれは心の故障で居てはいけないところにいる証拠なのだろう。
いつの間にか、人間を危険視し、目につかないよう逃げ回っていた。
人の笑顔は嘲笑ばかりだった。
人の笑顔を見たのが久しぶりと感じるのは異常な状態のはずだが、それにすら気付かなかった。
きっと出るべくして、出ることができ、
そして、人間として生きていく感覚を取り戻せたのだろう。
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かけがえのない時を、私は心穏やかに過ごしたい。周りには笑顔の人がいて欲しいし、困っている人がいたら助けたいし、嘲笑は御免被りたい。
そう考えると、人を怖いと思い始めたら、そこはいるべき場所ではないのだろう。
出たから分かる、出てよかったと。
現職は、人が棲まない村だったのだ。
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