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ただの日々の記録

台風10号が通り過ぎようとしているその影響で今日の東京は風が強く、雲が流されるようにして天気がコロコロ変わる。少し晴れ間が見えたかと思えば、短く激しい雨が降り、また遠くの雲の隙間に青空が見えたりした。

気まぐれな天気を憂いて今日は1日家で作業していた。週の始まりの月曜日。この天気のせいか、住宅街を行き交う人もまばらで静まりかえっている。聞こえるのは風が吹き荒び、木々を揺らす音と鈴のような虫の鳴き声。窓から入ってくる風は生ぬるいけれど、虫の声は確実にそこに秋が訪れていることを告げている。夕方に灰色に沈む空と雨で濡れたアスファルトを眺めていると、こちらの気持ちも滅入ってしまう。

コロナがやってきてからというものほとんど9割近い時間をひとりきりで過ごしている……とタイピングしているそばから、勢いよく雨が降り出してきた。急いで窓を閉めると激しく雨が窓ガラスを叩き始めた。ひとりの時間も好きだから機嫌よく通常運転で過ごしてきたけれど、何度かこの状況が耐え難くなるときがあった。今日もやや耐えがたい波の中でもがいているような気分だ。家で3食食べるようになってから当たり前だけど、食材がすぐになくなるようになった。余らせずに食べ切れるのはうれしい反面、お米や調味料などが気がつくと底をつく寸前になっている。今朝も数日かけて1袋のパンを食べ切り、冷凍ご飯も昨夜食べ切っていた。家にずっといるとつい昼食を飛ばしてしまうのだけど、16時くらいにお腹が空いて集中力が切れた。ふらふらとキッチンへ向かい冷蔵庫を開けてみて、米びつのお米がなくなりそうだったことに気づいた。注文するのを忘れてた! あとでメールしなきゃ。食べるものがないな〜と思いガサゴソしていると、ふと切り餅が残っていたことを思い出した。きな粉にするか砂糖醤油にするか迷って、10数年ぶりに砂糖醤油でお餅を食べることにした。鍋で湯をグツグツ沸かしてお餅を茹で、緑茶を一緒に飲もうと思ってやかんでお湯を沸かした。茶葉をポットに入れようとして1杯分の茶葉がギリギリ残っていたことに気づいた。あ、茶葉も買い足さないといけない。白い皿にキビ糖を広げ醤油をかけると、もう醤油も底をつきそうなことに気づいた。買ったばかりのような気がしていたけれどもうなくなるんだ。醤油の中にシャリシャリの砂糖の輪郭が透明に浮かんでいた。やわらかく茹で上がったお餅をのせると砂糖はサラサラと溶けて砂のように細かくなりやがてなじんで消えていった。砂糖醤油って昭和の懐かしい味だと思う。甘くてしょっぱい、いなたい味。子どもの頃に母が作ってくれた味わいに耐えがたい孤独を癒されたかった。お米や醤油や茶葉が立て続けに切れかかってふと「生活している」実感が湧いた。社会人になって7年会社員勤めをした。フリーランスになって3年経ったけれど、会社員時代に体に染み込んだ1日の時間の流れが今でも消えない。会社員だった頃は平日24時前くらいまで仕事をしているのが当たり前で、普通の人が退社する18時とか19時なんてまだまだこれから仕事する時間だった。それがわたしにとっての普通だったし、そのことを苦にも思っていなかった。外での仕事を終えて夕方に会社へ戻ろうとする道すがら、わたしとは逆方向に駅に向かって帰路につこうとしている人々の流れをみると自分とは真逆の世界の住人のように見えた。1日中、蛍光灯の下で仕事をしていると会社の外へ出たときに、いつのまにか夕方になっていることも多々あった。ピンクに染まるきれいな夕暮れの空は1日の終わりを告げていて、まっとうな人間の暮らしとは遠いところにいる自分と対照的すぎてなんだか無性に心細い気持ちになった。仕事が辛いときは会社のそばの公園でビルに囲まれた隙間から空を見上げて自分がここで何をしているのかよくわからなくなった。それでもわたしには働く選択肢しかないように思っていた。

7年という月日が過ぎれば小学1年生が中学1年生になるだけだから、わたしにとっても会社員勤めは長い時間だった。平日は蛍光灯の下で日付が変わるまで働いて深夜に帰宅し、夜中の3時頃眠る。そして8時に起きてまた仕事へ出かける。それが体に染みついていた。だからフリーランスになって(コロナになってからは余計に)太陽の移り変わりを感じながら夕方には仕事を終えて19時とか20時に家で夕飯をとる生活が、しあわせなのにいまだに心のどこかで”もっと働かなくていいのかな?”って不安に思ってしまう自分がいる。夜遅くまで働くことに安心してしまう自分がいるのだ。会社員だった頃は平日家で自炊をする余裕なんてないからいつも外で食べるかお惣菜を買って帰るかだった。今では当時、毎日の食事をどうしていたかよく思い出せない。たまに食材を買っても使い切れずに賞味期限が切れたり、腐らせてしまうことがしょっちゅうだった。洗濯も週末にまとめて1度。せっかくのおやすみは1日家事で終わったらもったいない、気分転換もしたいから買い物に出かけたり、展示を見に出かけたりしていた。今思うとすごい体力だと思うし、当時のわたしは自分が自分でかわいそうになるくらいよく頑張っていた。だから働き始めてからわたしには「生活している」という実感がなかった。生活が抜けていて、ただ働いているという感じ。その感覚がいまだに拭えなくて、食材を切らすなんて生活していれば当たり前のことに新鮮な驚気を感じている。ひたすら働いていたときはそれが自分の選択だと思っていたけれど、ピンクの夕焼け空を見上げるたびに感じていた心細さは、どこかで自分が本当に望んでいるのとは”違うよ”というシグナルだったように今は思う。染みついた心の癖と向き合う日々はまだまだ続きそうだ。

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