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【ステイ・ホーム日記】4月23日

少し間が空いたステイ・ホーム日記。日記は空いてしまったけれど、相変わらず家にこもる日々。朝起きたら窓を開けて空気を入れ換えて、カレンダーをめくって、花の水を交換する。この生活になってから部屋に花を絶やさなくなった。自分以外のお世話をするのは楽しい。花瓶の水を捨てて、水道水でゆすいで、浄水器をくぐらせた水を入れて花を生け直す。茎の先っぽがふやふやになっていたらハサミで切って、水を吸いやすくしたり、枯れてしまった花を指でつまんだりする。毎日眺めているとつぼみだった花がだんだん膨らんで今日は満開になっていたり、花が咲かない植物だと思っていたのに小さなピンクの花を咲かせたり。花の持ちもそれぞれで、半月前くらいに買った撫子は(茎はだいぶ短くなり花だけ生けてる)今もまだきれいに長持ちしている。かと思えば昨日まで元気だったカンパニュラ(鈴の形をした花)が一晩のうちにしおれてしまったりする。切り花は不自然だと思う。本当は土に生えているのが自然な姿なのに今、部屋にある花が土に生えているところを見たことがない。パイナップルが木になっている姿がわからない、スーパーに並んでる魚の切り身しか見たことがない、みたいな違和感。こうしてかいがいしく花のお世話ができても、自分のことは満足にできていない。家にずっといれば自分ひとり分のことなんて簡単でしょ、と思う。朝起きて朝食を用意して、食事を終えたら食器を洗って。ゴミをまとめ、天気がよければ洗濯。乾いた食器を棚に戻したらもうお昼。昼食も夕飯も自分で用意する。さっき洗った食器も使ったらまたすぐお皿洗い。誰にも会ってないのに毎日お風呂に入らないと汚くなるし、朝メイクをしたら夜はきれいに落とさなきゃいけない。毎日同じことの繰り返しで終わることがない。エンドレスループ。自分ひとり分の面倒を見る。それはこれまでの生活でも同じだったけれど、忙しければ外食に頼っていたし、外食すれば料理と片付けの時間が短縮された。今は毎日家にいて食事は自分で作るので、料理する時間、片付ける時間。それが1日3回ずつ。そのほかの家事もして仕事もする。たまに用事があれば外出して、帰りにスーパーに寄ってまとめて食料を買う。こうしたいわゆる”生活”に時間をたくさん取られている。

ふう。生活するって大変だ。 

今、大人になってから初めてというくらい、暮らしとか日々の営みということにせっせと取り組んでいる気がする。それも太陽の動きとともに暮らしている。日差しがたくさんあるうちに洗濯物を干して、日が暮れる前に取り込んで、天気予報をチェックして買い物に行く日を決めて。会社員だったころは朝出社したら夜までずっと蛍光灯に照らされた室内にいた。そうすると時間の流れとともに太陽が動いて1日が暮れていく感覚がだんだん失われていった。外の空気を吸おうと近くの公園まで行ってビルの間から上を見上げたとき、夕焼けに染まる空を見て、自然の流れと分断された自分の生活に、宙に投げ出されてふわふわ浮いているような、地に足がつかない感覚によく襲われた。頭がこんがらがった。朝出社して終電間際に退社するのが当たり前だと思っていたから、朝と夜しか見ていなかった。その間にどんな時間帯があって、人々がどんな時間の流れの中にいるか、わたしには接点がなかった。そのせいか会社を辞めてしばらくぼうっと過ごしていたころ。仕事もしてない何もないわたしには、1日が太陽とともに流れ過ぎていくのを見るのがとってもしんどかった。とくに午後3時ころの、時間がまったり流れるときが苦手でしょうがなかった。多くの人は会社でバリバリ仕事をしてる一方で、わたしの視界の周辺には買い物帰りのおばあちゃんとかしかいない時間帯。そのころ黄昏泣きをする赤ちゃんの気持ちがよくわかった。意味もなく空虚な気持ちに襲われるから苦しくてわたしも泣きたかった。17時を過ぎて仕事を終えた人たちで街が慌ただしく動き出すとほっとした。フリーになっても外で仕事をしていることが多かったのは、その感覚が抜けなかったからだと思う。だから自粛生活になってようやく太陽の動きを感じながら生活をするようになった。いざ自粛生活に入ってみれば、今はその症状もだいぶ落ち着いている(だけど夕方17時を知らせるチャイムはあのころを思い出させるからか好きじゃない)。仕事でほとんど外出していたころは生活をショートカットしていたと思う。今は日々地味なことの繰り返しで、しかも自分ひとりの面倒も満足にできていないけれど、けっこうこの生活が気に入っている。

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