レズビアンバーに行ったら、”女性を演じる”プレッシャーやセクシュアリティについてたくさん気づいた話
「わたしって、女の子が好きなのかもしれない。」
突然、我が人生に懸案事項が浮上。
始まりは、恋愛相談中の相手からの何気ない一言だった。
「もしかして(恋愛対象が)女なんじゃない?」
そこからは一人脳内会議。
え?そうなの?でも、好みの男性のタイプは言えるけど、好みの女性のタイプは言えないしな。
あ、でも好みの男性のタイプは割と中性的なタイプだから、女性が好きという無意識の気持ちが現れていたのかしらん?
そう言えば、AVを見て興奮するのは、女優さん側の気持ちと同調していたからではなくて、もしかして、女優さんそのものに興奮してたってこと?
まぁ、でも女の人とセックス出来るかと言われれば(詳細な方法は未知だけれど)出来るだろうなと思える自分がいるな。
「え?つまりわたしは女の人が好きってこと?」
急に頭の中のオセロが全部ひっくり返ったようなてんやわんや状態。数日は悶々と考えていたけれど、これは考えてもわからんなと思って実際に同性愛の世界に身を投じることにした。
そういう顛末で、おっかなびっくりレズビアンバーに行った話を書くね。
意外と普通にバーだった
渋谷に先月オープンしたばかりというそのお店(ちなみに他では新宿二丁目と池袋にあるらしい)は普通にキレイなバーだった。違うのは【会員制】の札が入り口にあったことと、お客さんが女性しかいないことくらい。
急に他のお客さんからキスされたらどうしようとか思っていたけれど、全然そんなことはなく、普通におしゃべりを楽しめるバーだった。
すでに二人組のお客さんが店主さんと談笑していた。そこにそろっとお邪魔する。先客さんたちの一つおきの席を促されてまずはオーダーをする。
チャージとは別に1杯1000円弱くらいのドリンクがメニューに並ぶ。緊張で気持ちもふわふわして、いつもなら絶対頼まないアマレットジンジャーを頼んでしまう。甘すぎる。
すごく親身になってくれた
「初めてですよね?」という店主さんの一言を皮切りに、先ほど書いたような理由で今日は来たことを告げる。そう今日はわたしのビアンバー記念日。
AV女優さんに興奮するくだりにすごく共感されて、そうかそういうものなのかと納得。話の輪に加わってくれた先客のお二人もパートナーというわけではなくレズビアン友達という感じだった。
一人は毛先だけ明るい色に染めたボブの女性、もう一人は革っぽい素材のワンピースを来こなした知的な感じの女性だった。
レズビアンが出会うにはマッチングアプリ、オフ会、レズビアンバーが主な方法なのだという。同性愛者専用のマッチングアプリも複数あるのを教えてくれた。
ただ、界隈的に結構狭いらしく特に二丁目のレズビアンバーはすぐに「姉妹」になってしまったりもするので、二丁目ネームなる源氏名を持っている人もいるそう。
リアルすぎる現場の声
フェムタチ・イキリボイ・ボイネコ・ジャリタチなどなど人生で初めて出会う単語も教えてくれた。こういうことはやっぱり現場の情報が一番だね。(意味は気になった方のみ調べてくださいな)
「最初の彼女が学校の先生だった」とか「女子校の先輩と付き合っていた」とか結構人生の中の早めの時期に自分の恋愛対象に気づき、実践を積んできた人が大半だった。勉強になります。
レズビアンでモテるタイプを芸能人でいうとどんな感じですか?と聞いたら「北川景子さん」の名前が挙がってきた。ちょっとツンとしたクールビューティーが良いらしい。ふむふむ。
都内でも絶滅に瀕している場所
その後も、さらに一人、二人と席は埋まっていった。後からわかったことだが、わたし以外のお客さんは全員20代前半の女の子で、ツイッターなどで専用アカを作ったりすることで繋がったり出来るようだった。
たまたま隣に座った女子大生の子は「こういうお店がなくなると困るので」と店主さんにも、何杯もお酒を奢っていて大切な場所であることがうかがえた。事実、コロナになってから閉店したレズビアンバーもあるようだった。
これは店主さんが言っていたことなんだけれど、レズビアンバーにはレズビアンじゃなくても来て欲しいそう。いわゆるノンケと言われる女の人でも飲みに来たければウェルカムだと話していた。既婚者の女性も来るという。
女性役を演じていた自分
事実、レズビアンバーはすごく居心地が良かった。その理由を自分なりに分析してみると”女性役を免除されてること”が理由としてすごく大きいことに気づいた。
男女が集うバーでは、ナンパだったり、異性として意識されてる視線を投げられたりだとか、期待されている女性役を演じなくてはいけないという思いがある。
いや、正確には女性役を演じているつもりはなかったけれど、レズビアンバーに来たことで、無意識に女性役を演じることで相当なプレッシャーを感じていたことがわかった。その縛りがないことがすごく楽ちんだった。
おそらくわたし自身、男性とセックスをしていても女性役であらねばという気持ちは強くあったと思うし、男性側だってちゃんとリードせねばという男性役の気持ちが強くあるともう。それがプレッシャーになって億劫になる男性もいると思う。
異性愛だけじゃない世界になればその役割も取っ払われて、お互いが愛したいように愛されたいように生きられるのかななんてことも頭に浮かんできた。
女性であるとか、男性であるとか無関係に、心地よい自分であればいい。そういう自由な空気がレズビアンバーにはあって、懐の広さみたいなものを感じた。
セクシュアリティの当たり前とは
わたし自身、まだ女性が恋愛対象なのか、性的対象なのか、判断つきかねるけど、困れば助けてくれる場所はあるんだなということがわかり有り難かった。また他のバーにも行ったりして、自分をいろいろ試してみようと思っている。
今回のことで、異性愛が自分のデフォルトだと信じ込んでいた現実に大きなひびが入った。そもそも、どうして自分は異性愛者だと信じていたのだろう?そこには環境や世間の影響も多分にあるだろう。
けど、必ずしもそれが自分にとって適合するものではない。今回のことはびっくりすることではあったけれど、決して悲観的なことではなくて、可能性が広がったのかなと今は思えている。だって世界中と愛しあえるかもしれないわけだから。(こういうとこがあたくしスーパーポジティブ)
自分の性自認、恋愛対象、性欲対象はそれぞれ違っても良いということにも気づけた。女性の身体と心であることは揺るぎないと思うけれど、恋愛対象と性欲対象はまだ揺らいでいる。今までは男性のみを恋愛対象、性欲対象とみなしていたけれど、もしかしたら変化するのかもしれない。
自分にとっての当たり前を疑ってみると、新しい可能性しかないのだなと思ったよ。
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簡単な質問に答えて自分のセクシュアリティを調べるサイトがあったので結果を貼っておくね。画像を押すとサイトに飛べて最下部に診断ボタンがあるよ。
わたしの性を巡る冒険は、まだまだ始まったばかり。
終着点にどんな景色が待っているのか、そもそも終着すべきことなのか、大事な問いとして見つめてみようと思う。