【往復書簡】わたしはずっとわたしの味方、そこは絶対ブレない。
わたしもちょっと時間を要してしまった。でも、準備が整ったみたいなので、こちらへのお返事を書きます。
読んだ瞬間、ウルウルしてしまった。ぶんちゃんは相変わらず素敵な文章を紡ぐ人だね。
「今の状況は全て自分が選んでいる」ということに対して絶えず自覚的でありたいという気持ちがすごく強くなった。
きっかけになったのは、仕事を追えずに追われてばかりでトゲトゲしていたときに兄に言われた、「その状況を選んでるのはお前だからね?」っていう言葉。だから今は、日々選択を繰り返す中で、他人の声に左右されて目が霞まないように、自分自身の審美眼を鍛えたいと思っている。
すごいお兄さんだね。すごいというのはまっすぐ誠実にぶんちゃんに向き合って、本当のことを言ってくれる、真の意味で優しい人だなと。
不幸な自分の境遇を嘆く人がいる。
でもそれって、他の誰でもなく自らの選択の結果でしかない。原因は100%自分由来という残酷にも思えるこの真実をしっかりと受け止めるにはちょっとした強さが必要になる。
ぶんちゃんにはそれがしっかり備わっているんだなぁと、なんだか勝手に誇らしく思ったりもしたよ。
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さてさて、今回は確信犯的にヘビーなこちらのお題を投げてしまったね。
「過去の自分に会いに行けるとしたら、どの時代の自分に何を伝えますか?」
きっとご家族のことを書くだろうなとは思っていたけれど、想像以上に真摯に打ち返してくれて、心が震えました。ありがとう。
だから今、過去を振り返っても、当時の苦しみを軽減させてあげよーとは思わない。ぜんぶ、ぜんぶ、必要だったから。
壁にぶち当たっていた頃の自分に声をかけるとしたら、「大丈夫だから、そのまま楽しめ」って言うと思う。
この辺りは激しく同意。よく過去に戻ってやり直せるとしたらいつがいい?みたいな質問があるけれど、完全に愚問。どんな出来事も大小、辛い楽しいひっくるめて今のわたしを構成する大切の要素なので、どれかをやり直すなんて考えられない。
壁にぶち当たっていた頃の自分に、わたしなら「そう簡単に死なないから、大丈夫」っていうね。どんだけ辛くても体調が狂っても、そう簡単には死なない。それが今は逆に自分を生かしている言葉だったりもする。
それは大学時代に、今はなき母にむけていた態度。当時、わたしは就職活動の真っ最中で、母が脳卒中で倒れる直前にお風呂掃除をしていたときも、テレビ局のESの内容を考えながらパソコンを睨んでいたと思う。(中略)
本当に何の前触れもなく、いきなりだった。いや、「何の前触れもなく」と思い込みたかった。(中略)
そのときの自分が、どうしてもまだ許せていない。
(中略)もう決して会えない人に向けた言葉や態度は、どんなに技術が発展しようが、取り返しがつかない。
だから過去の自分に会いに行けるとしたら、わたしは、未熟すぎた大学時代の自分に、「お母さんに『ありがとう』と言えバカ」って言ってやりたい。
本当にねぇ。あのトゲトゲしていた頃のわたしたちのキャパの狭さよ。いっぱいそこから学んで"今"をたくさん生きられるようになったよね。文ちゃんが秋の風みたいにハンサムなお母様に再会するときには楽しいおしゃべりが待ってるってわたしも信じてる。
わたしも家族に限らず、ありがとうって言いたい人にはちゃんと言ってこって思ったよ。
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さて、こちらの問いについてわたしも考えてみよう。
「過去の自分に会いに行けるとしたら、どの時代の自分に何を伝えますか?」
わたしは「過去は変えられるもの」だし、「過去は変えられないもの」だとも思ってる。事実は変えられないけど、タイミングで意味は変えられる。
究極、どの自分に会いに行かなくてもいいっていうのが、すぐ出てきた回答だったんだよね。だって、今となってはどんな自分も「わたしってばサイコー!」って思ってるから。
もうちょっと前だったら、会社を辞めようかフリーランスでやっていけるか不安でいっぱいだった時の自分を励ましたいとか、婚約破棄されて女としての自信をなくして絶望の底に佇む自分を慰めたいとか、妹へのルックスコンプレックスで性格や勉学を頑張らないと自分の価値がなくなると考えていた小学校時代の自分を勇気つけるとかそういう解答が上がっていたと思う。
もちろんそれも、素敵な在り方だと思うんだけど、もう一周回って、どんなに凹んでも失敗しても人から変だと思われても傷つけられても傷つけてしまったとしても、「わたしはサイコー!わたしはわたしを絶対に信じてる!」ってマリオの無敵のスターモードに入っちゃって全部どうでもよくなっちゃった。だって信じてるし、わたしはずっとわたしの味方だから。そこは絶対ブレないから。
そんなベースがあってからのこの問い。未来はどうかって話だね。
そしてアヤノさんが思い描く、10年後の最新の理想も教えてほしい。
年齢は47才になってるね。子供は一回くらいは産んでたいかな。もしくは養子とかも迎えてても楽しいかもね。おうちは東京と山側と海側の3つくらい、海外にも3つくらい。どのウチもアトリエのついた自分の大好きなインテリアで詰まった部屋を作る。
現夫は一人だけと、元夫は二人くらいいるかもしれない。(10年で一体何が起こるんや。笑)でも、みんな関係は良好みたいなイメージ。結婚という概念自体、10年経てば変わっているかもしれないよね。もっと結婚もオーダーメイドの世界になっていてほしい。
仕事はなんだろ、本を書いたり出したり、個人に対してのライフコンサルというかコーチみたいなことやってそう。猫と暮らせる不動産のオーナーにもなっていたい。猫の保護団体にも巨額の寄付をできる富豪でありたい。キャバレーオーナーにもなりたい。
そんな風に子供がまだ小さかったとしても、家族やシッターさんに任せて自分の好きなことをいっぱいやってると思う。きっと多くの大人に触れた方が子供にとってもいいと思っていて、それぞれの思いのままの人生を生きることを見せるのがいい教育かなとも思うので。
基本はきっとそこまで今と変わらない。
ただね、最近すごく思うの。20代で許されていたことが40代では許されなくなる。20代で酔って暴れるのと、40代で酔って暴れるのでは与える印象が違う。若いっていうことで、いかに世界に許されていたかを最近すごく実感する。贈与を知らずに受け取っていた。
だから、50才近くなったら更に地に足つけたり、より責任ある存在であることを求められるのだろうなと。それはある意味、制限と呼べるものかもしれないけれど、その制限をキープしたままで、更に自由に飛び立てる50代になりたい。きっと120くらいまで生きるし、まだまだ折り返しにも満たないはず。
更に跳躍するため、楽しい仲間をたくさんこれからも作っていきたいな。
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というわけで、次回ぶんちゃんに答えて欲しいお題は「去年の自分と今年の自分、一番変わったところは??」世の中の変化もあったし、ぶんちゃん自身もいろいろと変化があったと思う。そして、ちょうど1年ほど前に一緒にぶんちゃんとは週1noteメンバーとして一緒に松本へ合宿に行ったのでした。そこから1年。どんな違いを感じているか知りたい。
ぶんちゃんのタイミングでお返事お待ちしています。
今日も良い1日を♪