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祖父のこと

脈略もなくおじいちゃんのこと書きます。

おはようございます。
浦安駅から30秒のネイルサロン!
Pink Cloverのオーナーネイリスト兼スクール講師の東條 彩乃です。

大好きな母方の祖父母。

もう二人とも亡くなってしまったけど、
とても大切な存在です。

祖父は、厳格な性格で、
物心ついた時から(と思ったら0歳の時からって今知ったけど)
ピシッとまとめた白髪と、重厚な佇まい。

祖母や、母たち子世代、
私たち孫世代も含めた親族が全員祖父に敬語で接し、
とても「じぃじ」なんて呼べるような存在じゃなかったし、
子供の時は話しかけることさえ畏れて、
学校のことや勉強のこと、何か聞かれても
「はい」「いいえ」しか答えられないほどの存在でした。

10代の頃に自転車に乗って商いを始め、
下町浅草で会社を興した祖父。
革の卸業をしていました。

私が物心ついた時にはもう第一線を退いていたけれど、
私の記憶にある母実家には、
住み込みで働いていた方たちの部屋があったり、
倉庫と呼ばれる部屋には沢山の革のロールがあってかくれんぼに最適だったこと、
事務所にあった大きな金庫とインクの匂い、
洋式トイレは4階にしかなくて2階のトイレが怖かったこと、
通いでお掃除にきてくれているおばさんが怖かったこと、
食堂にいつも用意してある10リットル程の麦茶、
祖母が屋上で干して作った真っ赤でしょっぱくて最高に美味しい梅干し…。

…そうなんです。
働いている祖父の記憶がない、、。

祖父が現役で1番バリバリ働いていた時代を
私は知らないことがとても残念で、
もっといろんな話を聞いておきたかったな、
と今になって思います。

それでも孫の私が(全然規模は小さいけれど)事業をしていることで、
伯父たちに「彩乃はおじいちゃんの血を継いだんだね」と言われることが
とても畏れ多くて、でも誇らしい
といつも思っています。

晩年の祖父は脳梗塞を患い、
その後遺症の半身麻痺で、施設に入っていました。

母にとっても厳しい父親で、
女性が華美に着飾ること、化粧をすること、
ましてや爪に色を塗るなんて!と教育されてきた母は、
自分の娘がネイルサロンを始めたなんて言えない!と言っていましたが
祖父は咎めもせず私の仕事を応援してくれました。

左腕も左脚もまったく動かなくなってしまっても、
口の左側から唾液が溢れてしまっても、
やはり祖父の威厳はそのままで、
「お前の店の収益はどうなんだ?」と聞く時だけ眼光が鋭くなる、
そんな祖父と対等に経営の話ができるほど「経営者」になりきれていなかった私。

今だったらもっとたくさん
聞きたいことも教わりたいこともあるのにな。


「おじいちゃんだったらどうしてる?」
「おじいちゃんだったらこんなことで迷わない?」


答えてはもらえないけど、
いつも墓前で話しかけると背中を押される思いがします。

その隣で太陽のように明るい祖母が、
面白い顔をしたり、思い切り笑ったりして励ましてくれている気がします。

ありがとう、いつも支えられてます。

外出自粛でなかなか行けないけど早くまたお墓参りにも行きたい。


小平のおじいちゃんもね☺︎


今日もおじいちゃんとおばあちゃんの孫であることを誇りに
精一杯生きようと思います。


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