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推しの推しが推しになった

わたしにはありがたいことに「推し」という存在が何人か存在する。

昔からどうやらわたしは根っからのオタク気質だったようで、昨今の推し活ブームが始まるはるか前から【オタク】だったように思う。

生活の中心は推し。推しのために働き、推しに栄養をもらって、日々推しに生かされている。

経済的な自制ができれば推しはいればいるほど良いと思っている。
ただ、推しというものは不思議で、作ろうと思ってできるものではなく、気づいたら推しになっているということがほとんどだ。

少し恋愛と似ている。好きになろうと思って好きになったのではなく、気づいたら落ちている。

推すか/推さないか は自分で選択できるものではないのだ。

すでに推しというワードがゲシュタルト崩壊しそうである。

かれこれ8年くらい好きな推しがいるが、
(もはやその推しはわたしの細胞の一部といっても過言ではない)
その推しとは別に、ここ1年くらいで新たな推しができた。

それは、BE:FIRSTのLEOくんという人だ。

LEOくんにも、気づいたら落ちていた。
もう彼はわたしを語るには欠かせない存在で、彼と出会っていない自分が今ではもう想像できない。

色んなタイプのオタクが存在するが、わたしは【推しになりたい】と思うタイプのオタクだった。

推しの好きな音楽はすぐにサブスクでダウンロードしてちゃっかりお気に入りのプレイリストに入れるし、推しが好きという映画があればすぐにAmazonプライムかHuluにないかチェックする。ない場合はレンタルする。

エスカレートすると推しの私物や、スタイリストさんが手配したであろうアクセサリーなどにも手を出す。

自分が推しだったら気持ち悪いと思うかもしれないけど、真似せずにはいられないのだ。

推しと同じものを共有しているというだけで勝手に繋がった気になっている、それがオタクだと思う。

そんなふうに半ばストーカーのように"推しの推し"を探し当てては自分にも取り込んで学習していたわたしだが、
そこである小説家さんに出会う。

それが「燃え殻」さんという方だった。

ファンの間でLEOくんが燃え殻さんを好きなことは有名で、ラジオでも共演しているのを聴いたことがあった。

小説はいつか読んでみたいなと思っていたが、
今夏、「ブルーハワイ」という新しい燃え殻さんのエッセイ集が出版されるにあたり、LEOくんがその本の書評を書いているという。

いいきっかけだと思って、ブルーハワイが発売するのと同時くらいに、はじめて燃え殻さんの本を買った。

買った本は「すべて忘れてしまうから」という一冊のエッセイだった。

最初は小説じゃないんかい、とツッコみたくなると思うが、ブルーハワイがエッセイ集だったことと、わたしが無類のエッセイ好きだったことから、はじめの一冊は燃え殻さんのエッセイ集の第一作目であるこの本にした。

仕事終わり、渋谷の本屋さんで「すべて忘れてしまうから」を買ってきた日の夜、一人暮らしの6畳の部屋で本を開く。

一行目からもう心を掴まれてしまった。

「人生のほとんどの時間を"ままならない"で過ごしてきた」

すべて忘れてしまうから「はじめに」より抜粋

わかる!!!!!!!!と自分以外誰もいない部屋で首がもげそうなくらい頷いた。

一行目からこんなに共感できる本が今までにあっただろうか。

(この本の中に「すぐに「わかる」って言う奴はダメだと思うんだ」という話があることを思い出してグサグサときている)

でも、読み進めていくと共感ポイントというか、燃え殻さんの心の声が、自分が普段考えていることと酷似していて、ニヤニヤせずには読めない。

わたしも映像業界の端くれとして制作進行という謎の肩書きで働いているから、なんとなく仕事の話でも共感できる部分が多かった。

感じることや境遇が似ていることもあるが、
何より燃え殻さんのチョイスするワードが絶妙にわたしの心に刺さった。

ひとつ目の話ながらも、文章だけでこんなに笑えるのかというくらい声を上げて笑った話がある。

深夜の仕事場で三人のバイトの人と雑談している話。

ひとりのバイトが「まぁ話すまでもなかったんで初めて言いますが、痔が治りました」と言う。

すると、「俺、いま痔ですよ」ともうひとりのバイトも告白する。

その直後、最後の一人のバイトが一級品の雑談の話を持ち出すのだが、その直後に

「俺と痔二人は」とバイト二人の名前が痔に変わっていることに爆笑してしまった。

ちくしょう、こんなことで。とも思ったが、その後とたたみかけるように、その呼び方をするもんだから、これが燃え殻さんの技かと思わざるを得ない。

また、頻尿の女性と焼き鳥屋に行った話で、

「二人してトイレに行き倒すから、話の腰が複雑骨折するほど折れまくったけど

という文を読んだ時、こんな面白い表現をする人がいたことを何故わたしは今まで知らなかったのか、と自分を責めたくなるほどだった。

こうやってこのエッセイの「クスクスポイント」(もはや「ゲラゲラポイント」までいくときもある)を挙げていったらキリがない。

この文庫本には今無数の付箋が貼り付けてある。


さらにずるいのがこの本が「面白い」だけではないところだ。

絶妙なワードセンスで笑わせてくる割に、気づいたら涙してしまうような話が多いのである。

ひとつのエピソードを読み終わるごとに心がフワッと何かに包まれるような感覚に襲われる。

立ち止まっているときに「少し歩いてみるか」という気持ちにさせてくれる。

エッセイを読んでそんな気持ちになるのは初めての感覚だった。

燃え殻さんが今までに体験してきたエピソード自体の濃さだったり、珍しさも面白さのひとつではあるが、
そのときに感じたことを言葉にするのが本当に上手な人だと思った。

誰かの作品に触れた時に、はじめて「悔しい」という感情が芽生えた。

これまで誰かを「推す」ことが日常で、推しになりたいと思うことはあっても自分が注目されることは全くと言っていいほど興味がなかった。

あくまでも【オタク】でいることに安心している自分がいた。

ただ、燃え殻さんの文章を読んだ時にはじめて
「わたしにもこんな文章が書けたら」と、悔しいという感情が自分の中から沸き上がってきたことに自分でも驚いた。

そのとき、BE:FIRSTのメンバーでブルーノ・マーズのコンサートに行ったときにSOTAが「悔しい」と言っていたエピソードを思い出した。

当時はあまり理解できていなかったその感情が今になって少し気持ちがわかった。

自分の感情が整理できないとき、文章にするのは昔から好きだった。

なかなか続けるのは難しいが、日記というものが好きだった。

日記があることでそのときの感情を呼び起こしてくれるからだ。
なかったことになっていたかもしれないその時の感情や出来事が日記から呼び起こされる。
そんな瞬間が好きだった。

燃え殻さんの文章にはそんな力があると思う。

自分の体験した出来事ではないのに、他の思い出が呼び起こされる。

自分の中でいらないと思っていた思い出も、燃え殻さんの文によって昇華してしまうような力があった。

「もっとこの人の文章を読みたい」と思った。

1ヶ月足らずで「ボクたちはみんな大人になれなかった」「それでも日々はつづくから」「ブルーハワイ」をあっという間に読んでしまった。

正直、ここ数年あまり活字に触れることがなかった。
漫画は大好きで毎日のように読んでいたけど、どうしても仕事から帰ってきて疲れている脳で活字を追うのが億劫で本が読めなくなっていた。

そんな中、推しがきっかけで読むようになった本。
最初は「LEOくんが好きだから読んでみよう」というきっかけだった。

だが今はもはやそれは関係なくなっている。

推しの推しが、わたしの推しになってしまったのである。

彼にこんなことを言ったら「俺の方が先に燃え殻さんのこと好きになったんだからね」とか言いそうだ。

まだ読んでいない燃え殻さんの本をこれからまた読めることが楽しみで仕方がない。

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最近になって燃え殻さんのラジオを聴き始めるようになった。

ある日、ちょっと「ままならない」ことがあって、吐き出すように番組に重い内容のメールを送った。
その日は台風の日の生放送で、深夜になっても眠れず2:30頃番組の後半に殴り書きのような勢いで送ってしまった。

メールは読まれず、送ったことを少し後悔した。

その翌週、もうメールを送ったことは半分くらい忘れて相変わらず眠れない夜に燃え殻さんのラジオを聴いていた。

番組の終盤、突然わたしのラジオネームが燃え殻さんの口から発せられた。
ありきたりな名前で送ったので、最初は同姓同名の人かと思ったが、エピソードが思いっきりわたしが送ったものだった。

燃え殻さんの落ち着いた、優しい声でわたしのメールが読まれていく。
内容は、最近持病の調子がままならなくて、この前入院宣告を受けた。エッセイの中で燃え殻さんも入院したというエピソードがあったから、そんなときどう気持ちの折り合いをつけていたか、という相談だった。

メールを読み終わって、
「ご自愛くださいね」と言ってくれたあと、
燃え殻さんが入院したときのエピソードを話してくれた。
共感できる部分が多くて、ウンウン頷きながら聴いていた。

入院中はやることがない割に消灯も早いので私は毎回眠れなくて困っていた。
燃え殻さんはそんなとき、「ラジオ、良かったら聴いてくださいね」と言ってくれた。

次入院する時は燃え殻さんの本をたくさんと、夜中でもラジオが聴けるようにイヤホンを持って入院しようと決めた。

それだけでも十分なのに、燃え殻さんは番組の最後にも、この話の続きをしてくれたのである。

燃え殻さんが入院していた時、「ラジオが命綱みたいに感じていた」と話してくれた。

そのとき、涙が流れた。
同じようにその時も私も命綱を垂らされた感覚だった。

多分、ほとんどの人が長期の入院なんて経験したことがないと思う。
入院中、文字通り日の光が当たらない生活をしていると「今私がいなくなっても何も変わらないんじゃないか」とか「社会から逸脱されている」とかどうしてもネガティブな感情が芽生えてしまう。

深夜のラジオはそんな感情を優しく包み込んで何度も私を助けてくれた。

深夜ラジオと燃え殻さんの書く文章は似ていた。

そうだ、次入院するときは深夜はラジオを聴いて、昼間は本をたくさん読んで、飽きたら日記を書くようにしよう、と思った。

なくなってしまう感情を書きとめてみよう。

それが後で何かの役に立つかはわからないけど。

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