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[ポーランドはおいしい] 第13回 あこがれの漢字

最近(※本テクスト執筆は2004年)、吉本ばななの『キッチン』のポーランド語版が出た。表紙にでかでかと縦書きで「台所」と書いてあるので苦笑した。ちなみにポーランド語のタイトルは「調理場、台所」を意味する「kuchnia」である。「キッチン」と「台所」ではイメージがまったく違う。しかし日本語が読めない人にそんなニュアンスの違いはわからないし、そもそも彼らには「台所」という漢字が何を意味しているのかさえわからない。ではなぜわざわざ表紙に「台所」と書いてあるかと言えば、非漢字使用圏の人たちは漢字に対して、中国や日本へのエキゾティックな憧れを重ねているからだ。

ヨーロッパ語圏の人たちは使用する文字をすべて合わせても30文字程度しかないので、まず漢字の多さに驚く。そして漢字は全部でいくつあるのかとよく訊く。私は数えたことがないから正確にはわからないが、通常使用されるのは数千だと答えると、日本人は頭がいいとか、視覚的識別能力に優れているとかしきりに感心してくれる。でも学校で何年も勉強して、大人になってもまだ全部読み書きできるとは限らないんだよと言うと、それで大丈夫なのか?と不思議に思うらしい。

表音文字しか持たない人々にとっては、漢字が表意文字であることも魅力を感じる要素の一つだ。それで「あなたの名前はどういう意味か?」とよく訊かれる。私は自分の名前「文乃」の意味も由来も長い間知らなかったので答えに困ったものだ。

「私の名前を日本の文字で書いてくれ」という注文もよくある。このとき彼らが期待しているのはたいてい漢字であるから、外国人の名前はカタカナで書くのだよと説明して、カタカナで書いてあげてもあまり喜ばない。そうなると無理やり当て字を考え出さねばならないが、暴走族のグループ名みたいで私は嫌いなのでそこまではやってあげない。

ともかく彼らは漢字が書いてありさえすればアジア風でかっこいいと思っているので、どこかから取ってきた漢字を意味もわからず使っていたり、漢字らしきものをでっちあげて装飾に使っていたりする。その一例として、数年前、日本人の友人がポーランド国内で「大和証券」という名の中国レストランを発見している。また知人の画家が、私の写真展の案内ハガキから「うつつの途中」というタイトルを、意味もわからぬまま抜き出して、自分の油絵の中に書き込んでいたこともあった。

いちばん上の写真は1992年7月にワルシャワで撮影した
漢字のようなものの例です。

日本で見かけるTシャツに書いてある英語やフランス語が変だということはつとに指摘されているが、ポーランドで見かけるTシャツに書いてある日本語らしきものは変を通り越してしばしば爆笑を誘う。私がこれまで見たうちで「こいつはまいった!」と思ったのは、グレーがかったピンクの無地に小さめの明朝体(教科書体?)で「生ビール(改行)おでん」と右胸に縦書きしてあるもの。Gパン姿の若い女の子が着ていた。おしゃれでシックなデザインと、居酒屋メニュー的内容とのミスマッチが絶妙である。

ブティックで売られている漢字Tシャツ
(クラクフにて2003年8月撮影)

ここ数年ポーランドでもタトゥーが流行っている。若い人たちがわりと軽い気持ちでおしゃれとして、二の腕や太股にワンポイントでロゴマークを入れていたりする。数年前、クラクフのプランティで、少々酔っぱらったお兄さんに、「おまえは中国人か日本人か? ポーランド語はわかるか?」と呼び止められたことがある。彼はタトゥーで「Boże, daj mi rozum. (神様、私に理性をください)」という文の頭文字「BDR」を彫ろうと思うのだけれど、これを漢字で書くとどうなるか、書いてみてくれという。漢字の方がかっこよかったら漢字で彫りたいのだそうだ。私は中国語はわからないから、日本語で「神様、私に理性をください」と書いてあげたら、お兄さんは「これじゃ長すぎて彫れないな」とあきらめたようだ。

最近ポーランドではタトゥーを題材にしたコーラのテレビ・コマーシャルが放映されている。かっこいい若者たちがタトゥー屋の前で自分のタトゥーを自慢しあうという内容だ。男の子が「俺のは〈竜の魂〉って意味」、女の子が「私のは〈永遠の愛〉を意味するのよ」とか言って、彫ってもらった漢字熟語を見せびらかすと、その部分がアップになってキャプションが出る。その漢字の本当の意味は「春巻」だったり「八宝菜」だったり…。実はタトゥー屋のおやじ(アジア人)が中華料理屋のメニューから適当に漢字を選んで彫っていた、というオチである。このCMがポーランド製なのか、他国で製作し音声とテロップだけポーランド語に変えたものなのかはわからないが、自分で自分を嗤うというギャグが登場するようになったのだから、ポーランドのCM界もようやく成熟してきたと言えるだろう。

2004.10.26

©SHIBATA Ayano 2004, 2017

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