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背面跳びで跳べない女
私は、背面跳びで跳ぶことが出来ない。はさみ跳びの女だ。
小学校までは皆、走り高跳びははさみ跳びで跳ぶ。中学以降は背面跳びに切り替え、記録を伸ばしていくのが定石だ。
私が背面跳びが出来ないのは、他でもない、体が硬いからだ。ちょっと硬いんだよね、なんてもんじゃない。皆の想像をはるかに超える硬さなのだ。
小学校まではクラスで一番背が高く、走り高跳びは私にとってはゴム跳びの延長で、何も難しいことではなかった。
中学校に入って、背面跳びに挑戦して、跳べなかった。先生曰く、助走はいい。踏切もいい。問題は反れない体だ。私の体は真っすぐなままバーにぶち当たり、落下する。私の体は曲線を上手く描けなかった。
物心ついた時から、硬かった。
子供の頃モダンバレエを習っていたが、開脚もブリッジも上手く出来ないまま終わった。当たり前だがバレエに柔軟性は不可欠で、子供心に自分の踊りが他の子達と微妙にズレていると感じていた。ズレているのはテンポのことではない。上手く言えないが、何というか角度の問題だった。例えば、反らした上体の角度。例えば、屈んだ腰の角度。私の体は正しい角度を描けなかった。
頭の中では、正しいカタチが解っていた。でも、いざ自分でそれを再現しようと試みても、上手くいかなかった。理解と体現は別物だった。ちぐはぐな表現。ぎこちない動き。
とりあえず、柔軟性を手に入れる必要があった。ならば人一倍、柔軟体操を頑張ればいいだけの話だ。でも私は頑張らなかった。ちょっとは頑張ったかもしれない。すごく頑張ったかと言われれば、全くもってNOだった。答えは簡単、それがすごく好きで好きで、一番にやりたいことではなかったから。
市内小学校陸上大会で大会タイ記録を跳んだ私は、中学校で美術部に入部した。
陸上部顧問から、中体連に向け夏の間だけ陸上部の練習に参加するよう言われた。強面の、熱血体育教師からの勧誘を断る術を知らない無垢な私は、三年間、夏は陸上部の練習に助っ人として参加した。柔軟性の欠如と、基礎体力不足と、そして何より「絶対に跳んでやるんだ」という熱い気持ちの欠落で、記録は伸びないままだった。
助っ人として呼ばれたが、結局三年間、補欠のままだった。
夏の乾いたグラウンドの土埃の上、スプリンクラーから勢いよく噴出される水の上をジャンプで越えていく、その跳躍だけが楽しかったんだ。
私と言う人間は、頑張ると自分で決めたことは頑張れる。そうでないことは、そこまで頑張らない。まして人から頑張れと言われたことなど、頑張りたくない。人の期待の裏を行く、そんなところがどうも私にはあるらしい。
あまのじゃくの頑固者。昔からよく言われる。
頑固者。
固いって、硬いって、私はどれだけカタイんだよ。
私に足りないのは、いわゆる『しなやかさ』だ。しなやかな美しい動きが、どうにもこうにも出来ない。だから踊れないし、跳べない。
柔軟性のかけらもなく、愚直に真っ直ぐに。自分の身体と同様、どうも私はそんな風にしか生きられないようだ。
しなやかに生きることが出来たら、もう少し生きやすいのになと思う。そうしたら、あれこれ悩まずに済むのかもしれない。そうしたら、友人も多くて楽しい休日を過ごせるのかもしれない。
でも、仕方がない、これが私なんだよなと思う。
背面跳びで跳べない女は、しなやかに生きられない。
しなやかさに欠ける分、たわみも無く、弾性も無く、ダメージはもろにくらう。なかなか消えないアザばかりが増える。そしてこのアザ達も、もはや自分の一部となったんだ。
背面跳びで跳べない女は、今日もいろんなところにぶつかって、知らないうちにアザを増やしながら、仏頂面で生きていくのだ。
私の名前がコールされるチャンスは、この先果たして訪れるのだろうか。
ならば、強行突破で行ってみるか。いつまで経っても呼ばれぬ名前。取り敢えず跳んでみるか。
私は勝手にエントリーして、右手を真っすぐ上に伸ばして、大きな声でこう言うんだ。
「はい、行きまーす。」
足首のバネだけを武器に、私は助走姿勢に入った。