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よき友とは?✧♡


 赤毛のアンに発見した「あいよぶ魂」という表現が気に入ったが、それにつづいて読んでいた小林正観さんの本「生きる大事 死ぬ大事」に、友達についての重要なことが書いてあった。要約してみる。

 お釈迦様の十大弟子にアーナンダという年若い弟子がいた。

 お釈迦様との年の開きは30歳ぐらい。十大弟子の中で最も遅く悟った人とされ、もっとも、お釈迦様の説教を聴いた人として「多聞第一」尊者と呼ばれる。他の弟子たちが最も智慧があるとかいろいろなことで評価された名前がついているのに、彼は、沢山聞いたということでしか評価されてない。

 他の弟子たちに比べ、とても優しすぎる人で、悩みに一緒に入り込んでしまい、悟るのが遅くなった。お釈迦様が涅槃に入る直前まで、アーナンダは悩み、煩悩から離れることが出来なかった。

 そんなアーナンダをお釈迦様はよく一緒に旅に連れて行った。

そんな旅の途中、アーナンダはこんな質問をするのです。
「お師匠さま、よき友を得ることは聖なる道の半ばだと思えるのですが、どうなのでしょうか」(正観さんの考え:聖なる道=正しい生き方) そのときお釈迦さまはこう答えました。
「アーナンダよ、よき友を得ることは聖なる道の半ばではない」(中略)

「アーナンダよ、よき友を得ることは聖なる道の半ばではなく、聖なる道の全てである」


 お釈迦さまはこう説明しました。
「私(釈迦)を友とすることによって、人は老いる身でありながら病むことを恐れずにすむ。病むこともある身でありながら病むことを恐れずにすむ。必ず死すべき身でありながら、死の恐れから逃れることができる。よき友を持つことは、幸せに生きることの絶対条件なのだ」と。

 本来の「友」とは、遊び相手とか遊び仲間というようなものではなくて、人生上の悩み・苦しみ・苦悩・煩悩を少しでも軽減してくれるような「気づき」を教えてくれる人のようです。
 それは同時に、自分もそういう存在になることが「よき友」と言われる条件と言うことでもあります。
 そのように教え合うこと、学びや気づきを知らせ合うこと、交歓し合うことが「友」ということなのかもしれません。

 本質的な「友」という存在を認識するためには、「幸せ」というものも正しく認識する必要があるかもしれません。
 というのは、「幸せ」とは「何かを得る」とか「欲しいと思っていたものを手に入れる」ことではなく、「今の自分が「幸せ」の中にいること、「幸せ」の中に存在していること」を知ることだからです。
 欲しいものを得たいとか、今以上の何かを得たいなど、自分の外に求めるものがあり、それが求められた、得られた、ということで「幸せ」を感じるならば、人生は実に苦悩に満ちたものでしかないでしょう。思い通りに得られるものなど、ほとんどないからです。「得る」ことや、「手に入れること」を考えている間は、本当の「幸せ」は手に入ることはないように思います。
 「得る」ための友ではなく。「認識する」ための友が真の友、というのがお釈迦さまの言う「友」であるようです。
 「こんなことを感じた」「こんなふうに思った」ということを語り合うことで、重荷を下ろし、楽になり、生きることが楽なる、そういう仲間こそが、お釈迦さまの言う本当の「友」ということになるのでしょう。

 そう考えれば「何かを教えてくれる人」「その人の一言、その人の気づきによって自分が楽になり、幸せになれる人」が本質的な「友」であることがわかります。年齢が離れていようが、男女であろうが、関係ありません。

 正観さんはここで師匠と友の違いを考える。「一方通行」と「相互通行」の差ではないか。互いに語り合うのが友。

 お釈迦さまは、アーナンダからすれば確かに「師匠」でした。が、お釈迦さまは、アーナンダの何気ない一言で多くを知り、あるいは気づき、悟りに至っていたのかもしれません。その意味で、アーナンダはお釈迦さまにとっての「友」だったかもしれないのです。

 今年になってからnoteの海を渡る舟を編んできた仲間と、記事のコメント欄で話をしたり、何か事件があると、皆で悩みを打ち明けコメントしあったりしてきた。まさに私たちのことではないか( ゚Д゚)
 それはお釈迦さまの言う、真の友であったのかと知って嬉しい今日だったのある。(10月29日)

 noteの真の友よ✧♡
 困難にぶつかった時、いつも相談に乗ってくれて、
 有難うね(⋈◍>◡<◍)。✧♡


 もう一つ気になったのはアーナンダという名前。
 地元にアーナンダという小林正観関係の気功師の店があるのだが、場所はつきとめていつか行こうと思って半年が過ぎた。
 アーナンダとは、小林正観の教えを最も聞いた人、みたいな名前だと知ったのだ。前もmickさんという素敵なnoterさんから教えてもらったのだが、最近、また、のりこのシックスリッチさんからも、遠隔の治療を受けたことがあると聞いた。

 本で3回目が来た( ゚Д゚)
 駐車場が無さそうと、躊躇している場合じゃないのかも。
 noteを捨て、町に出でよと言われている。

 実際に行き、
「ああ、なんだ!そうなんだ」と思うだけかもしれないケド✧♡


アーナンダの話です💖