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いいことは悪い姿でやってくる
この言葉をどこでゲットしたか、もう、思い出せない。
それでも、自分の人生で、もっともキツイなと思うことが、数度あった。
一つは、担任しての学級崩壊。
教職員になってみて驚くのは、教科を教える以外の雑務。自分が選んだ美術と言う教科を好きであっても、そうでないことが沢山あるのが教師のシゴトだ。勤め始めの私はそんな簡単なことを分かってなかった。
担任と言う仕事の大変さは、仕事で失敗したことがすでに子供たちの迷惑になることだ。自分に迷惑をかけてごめんなさいで済めばいいのだが、子供たちに1年間、迷惑をかけることになる。
担任の言うことを聞かない無法地帯で、勉強させられることになる。
これには、自分の精神がすり減った。
ある日、自分は自分のする仕事をすべて諦めた。注意することもやめて、ただ、その教室にいた。その時、凄いなと思ったのは、自分のカラダについてである。すべての努力をやめた自分のカラダは、確か、食事は普通にしていたと思うけど?、どんどん体重が減っていった。
すごい。何かを努力しないって、こんなに自分をすり減らすのだと知った。教師と言う仕事を38年間、続けてみてわかったことは、自分と言う人間の総量は変わらない。ただ、自分が後ろ向きの時は、生徒の前に立てず、自分が前向きの時はなんとか生徒の前に立っていられる。
自分のこのショボイ総量は全く変わらないのに、後ろ向きか、前向きかで、生徒の前に立てるか立てないかが決まるところが面白いと思った。
そのことを知って以来、どんなにショボイ総量の自分であろうと、まずは前向きに、にこにこして子供の前に立っていようと思ったのである。
そんな若き日に挫折した自分が、なぜ、38年間もこの教師生活に耐え抜いたかと言うと、「いいことは悪い姿でやってくる」という言葉を、いつからか、納得して座右の銘にしていたからではないかと思う。
この学級崩壊の事実は、私を、勉強家にしたし、心理学の全集を買ったりして、二次災害を防ぐ工夫をもたらした。このキツイ出来事が、その後の自分の教師人生を支えていたのである。あの時程、自分はまだ参っていない、と何度も思うことが出来た。
もう一つは40代を過ぎてからの単身赴任。
単身赴任は、男のモノだと思っていたし(男の方、ごめんなさい!)とても驚いた。愛する人と結婚して一緒に家を建てて住んでいるのに、もう一度家財を一通り買わなければならない、理不尽さ、馬鹿げた行為、なんというか、すべてが嫌だった。
しかし、このとてつもなく嫌な出来事も、あとから思うと、結構素敵な出来事に思えるから不思議である。
単身赴任当時、前の職場の仲間と飲む機会があって、私は単身赴任の辛さを語っていたと思うのだが、「ダンナのパジャマ姿さえ、愛おしいものになった」と語っていた。すると、技能主事の男の方が、「先生の、その年で、そんなことに気付くなんて素晴らしい!」とめっちゃほめられたのだが、当時は、何言ってんだこいつぐらいの気持ちだった。
しかし、あとから思うと、自分はこの時、うちのダンナはかけがえのない存在だと気づいたのだと思う。
生きているうちにそんな心境に慣れたのは、とてもラッキーなことだったのかもしれないと思うのである。
ダンナが生きている時から、一緒にこの人と暮らせないなら、人生を生きてる意味ないなあって気が付けた。
自分の人生に不幸ごとを運んでくるのはすべて仕事だったが、そのメンドクサイ仕事があったから、自分と言う人間の甘さやマヌケさが磨かれて、少しはいい人間になれた気がする。
だから、若い人に何か言うとしたら、この言葉をプレゼントしたい。
「いいことは悪い姿でやってくる」
自分の人生に最高最悪の出来事がやってきたら、この言葉を思い出してみて!って言いたい。