アーナンダ体験記②✧♡
働いていた時は文化の日がタイヤ交換の日。
11月過ぎ、黒帯と車屋さんに行くと、タイヤ交換は混んでいるから12月4日の一か月後と決まる。
しかし、霜月である。
気温がマイナスで、道路が凍ったら、普通のタイヤでは心もとなく、毎朝、おっかなびっくり温泉に出勤していた。
来年は、温泉を欠席しないよう11月3日にタイヤ交換と心に誓う。
アーナンダに行く日も、午前中、みぞれが降ってきたり、黒帯に釘をさされつつ、Kさんとの待ち合わせ場所、美術館に向かう。三人の無名の人の美術展。俳句・書道・水墨画。書道の女性の文字が良い。
Kさんに会い、アーナンダに13時ジャストに到着。
挨拶して初めは2人でショップを観察。
本屋で売っていない本があるのだ。
正観さんは、色々な不思議なことを書いているけど、ただ、そうであるというだけで、その考えが何に基づいているのかは、本には書いていない。色々な本を買って読んでいると、本の内容は結構だぶっているが、時々、お釈迦さまのことや、何から引用した話なのかが書いてある。
正観さんが何十年もかけて到達したその考えを、私は疑わないが、その考えの大元は何から来ているのか?
それが知れたら嬉しいのである。
前の日に、ネットでチェックし、本屋では手に入らない本の何冊かセット(8500円ぐらい)に狙いを定めた。
そのうち、なぜアーナンダという名前なのかという話から、津原さんの机の前に、2人、椅子に腰かけて話を聞くことになった。
いつもはメモ魔になる私だが、今回は相手があまりに近いため、メモしているのは怪しいかなと気を使い、ほぼ記憶です。
津原さんは、僕はいつも正観さんにコテンパンにされていましたと話す。
「正観さんはたぶん、あやのんさんやKさんには、『そうですね』と優しく言うんですが、僕には『なんのために知りたいですか?』と、さらに質問してくるんですね。このコテンパンっていうのも、高圧的だとかそういうことでなく、淡々と、コテンパンなんです」
サッカーの指導をしていた津原さん。
正観さんに、
「あなたは子供たちを指導している時に、お前、という呼び方をしていませんか?」と聞かれた。
「してません。名前で呼んでます!」
と答えたものの、後から考えると、全体には「お前ら」と言っていたことに気が付く。あとで正観さんにそれを言いに行くと、
「そういうふうに子供だからといって、相手を下に見て、話しをするのはよくありませんね」と言われたそうだ。
スポーツもののドラマの影響で、そういうやり方が全国に広がった。
今は、津村さんは、幼い時から一緒に育った従兄たちはつい呼び捨てにするが、いとこの子供たちは、さん付で呼ぶという。
私も過去に八戸で一度だけ正観さんの講演会に行った。同僚の面白そうな講演会があるという話だけで好奇心で参加し、話を聞き、まさに感心したのであった。講演のタイトルは「お金が入ってくる方法」だったかなw?
正観さんは、これから90分講演をする予定ですが、この話は5分で終わるんですよ、と言って、真相は
「トイレ掃除をすることです」
と始まりの5分で言った!笑えるエピソード満載の楽しい講演だった。
トイレ掃除は、やろうと思えばできそうだが、正観さんが言っているのは、自分が使用したトイレを、すべて綺麗にするという話だった。
人は、自分の家のトイレだけで用を足すわけではない。公衆トイレとか職場のトイレとか・・・意外にハードルが高いぞ?と感じた。
正観さんはほっそりとして、ほんとうに見た目のフツーな、眼鏡をかけたやせぎすの男の人だった。すべて淡々とにこにこして話される。
津原さんは、自分でもなぜ正観さんに惹かれているのかよくわからない。後で、正観さんの話を一番聞いているようなメンバーたちと合宿に行き、共に行動するようになっても、小林正観さんの何が素晴らしいかと聞かれれば、なんと説明していいのかよくわからなかったそうだ。
初めて聞いた講演会では、ただ、駄洒落が続き、何度も、よっぽど、途中で帰ろうかと思った。立ち上がって去ろうと思っていると、
「人生は全自動洗濯機。
乾燥(感想)は要らないから、ただ運ばれて行きなさい」
と言われ、なんか今、いいこと言った?とメモしているうちに最後まで聞いてしまったと言う。
目的地に向かって皆で移動している時に、どこかのパーキングで休憩した。その時に、正観さんがトイレに立ち、10数分で戻ってきたのだが、その後、津原さんがトイレに用足しに行ってみると、ある一角のトイレだけが、壁から便器からタイルの壁から、すべてピカピカに磨き上げられていた。
でも、正観さんだという確信はなく、質問は出来ない。
他のメンバーが質問し、それはやはり正観さんだった。
正観さんは、やはり実践の人だったのだ。
そして、津原さんがコテンパンにされるのは、1対1で教え諭されるのではなく、大概、何十人も何百人も話を聞いている講演の中というのがざらにあった。こういうアホな人がいてね、とよく講演のネタにもなっていた。
他の支部の人たちからも、正観さんが悪口を言ってましたよと聞くことがあったそう。(あれ?正観さん、五戒はどうなった?w)
しかし、津原さんは、それは、正観さん一流のギャグだと思って、気にならなかったらしい( ´艸`)
私は、話を聞きながら、正観さんにとって津原さんは、まさにアーナンダ、年若い弟子で、教師で言ったら、クラスにいる打たれ強い男子、みたいな存在。その子をからかいながら授業を進めるとクラス全員を乗せられてうまくいく、みたいな存在の人だったのではないのかと、話をきいて思った。
そんな津原さんがアーナンダという小林正観ショップを他の人から譲り受け、始めたのが2007年10月1日。その商品を前の店主から買う必要があり、どうしてもまとまったお金が必要だった。親父にお金を借りるくらい怖かったのが、正観さんだったが、ふと、勇気を奮って借金を申し込んでみた。
(正観さんの本には、お金はどこかに回すために入って来て、或るお金が入ってくるとそのお金の額が必要な人が現れ、貸すくらい持っているから貸すという形で、お金を必要な人に回す話が出てくる)
「安易な方向に流されないで、自分の味方を増やした方がいい」
津原さんは、そう、正観さんに言われてすぐ謝り、結局お金は借りなかった。正観さんを取り巻くお金は、軽く億を超えていて、貸して帰ってこなかったお金も沢山あることでしょう、僕も借りておけばよかったなあと笑う。
「私には、どうもその自分の味方を作るということがまだまだできていないのです」
また、津原さんは鬱も体験した。
「三か月、笑わないと、うつがピタッとほっぺたに張りついてきます」
うわあ・・・怖い!
そして、実は正観さんも鬱に2回、なったことがある。
一度目は18歳、学生時代。
二度目はお嬢さんが障碍を持って生まれてきた時。
ふと、河合隼雄さんも、高校教師時代の挫折・・・というエピソードを思い出す。昔々のテレビCMに「み~んな悩んで大きくなった!」というのがあったが、ほんと、偉人だと思っている人もみんなそうなんだ( ゚Д゚)
だよね。お釈迦さまだってそうだった。
正観さんの講演を聞いたことはあるが、正観さんとお話をしたことはない。
目の前で、正観さんの口調や動作をそっくりにまねて、色々な話をしてくれる津原さんに、正観さんと会っているような不思議な気持ちになった。
ふと、noteに、河合隼雄倶楽部があるように、八戸に小林正観倶楽部が出来て、津原さんが月に一度、正観さんの教えを話してくれれば面白い。
2人だけで聞いているのは勿体ない話だった。
それが短歌の会ぐらいの値段だったら最高!と思う。
月500円で、高齢者が楽しく幸せに暮らせる知恵を得る。
それが開かれる八戸市に、全国から人が来たら面白い!
妄想妄想( ´艸`)
ところで、アーナンダという名前にした訳は、幾つか重なったらしいが、その中の一つ、津原さんの本当の姓に「あな」という文字が入っているのだ。名前も並べ替えると使命が入っているらしい。不思議である。
津原さんはある時、「面受」という言葉が頭に浮かんで意味を調べてみたら、存在する言葉だった。私は話を聞いていた時は、画面でイメージを受け取ることと想像したが、調べてみると、違う意味だった。
砂漠の中をある一行が歩いていくイメージがあって、その中に自分もいたような気がする。
と、私のメモにあるが、それは津原さんと正観さんのエピソードなのか、アーナンダとお釈迦さまのエピソードなのか、よくわからない。
そして、私がメールを送った11月29日は、津原さんが八戸で企画した小林正観さんの講演の日(2005年11月29日)と同じ日付だった。
その日、不思議だったのは「虹蔵れて見えず」に入っているが、温泉に行く途中、とても立派な虹を見た。
行く先の空は暗く、雨上がりで、背中から太陽が強く陽が差している。
その暗い空にくっきりと見事な太い虹がクリアに見える。そして、うっすらと、外側にももう一つ虹が見えている。
津原さんと、その虹観ましたか!としばし、盛り上がる。
我々の会談中も暖かい日差しが時々差してきて、天気の心配もすっかり忘れていた。
11月9日が正観さんの誕生日。11月は津原さんのお母さんが亡くなって丁度、ばたばたした時であったらしい。そんな時、ふっと、アーナンダに訪れていろいろな話を聞くことが出来たのが本当に奇跡である。
そうしているうちに、津原さんが、Kさんに声を掛けて、立たせて、別な椅子に座らせた。突然、やれ、と、メッセージが入りました、と言って体の調子を見ている。頼まれたわけじゃないので、お代は頂きません。
私はKさんは杖をつき、足が悪いのを知っているから、こういう成り行きになってもいいと思っていたので、おお!と思った。
そして、私にまで、やれというメッセージがあったらしく、痛かった足の骨をぴきっと治してもらったのであった( ´艸`)
2人で90分も話を聞いた上に、津村さんがやるといったからといって治療までしてもらい、申し訳ないと思ったし、もともと読みたかったので正観さんの本を1万円ぐらい買った( ´艸`)
それでよかったのだろうか?
津原さん、有難う御座います💖
その後、お茶でも飲んで帰ろうとKさんを送りがてら、植物屋ARAYAへ。植物が主だと思うがカフェ部分もある素敵な建物だ。
以前、黒帯と好奇心で植物を売っているコーナーだけ訪れたことがある。古い風情のある建物だ。お店の人に聞くと大工の棟梁の家だったらしい。
ここはまるで盛岡だ。八戸じゃないみたいでパタコの好きそうな空間。
やっぱり、小中野、ヤバいね!
その感じのいいカフェで、2人でおしゃべり。Kさんはいつ会っても明るくて楽しい人だが、カフェの隣り合った席のせいか、年をとって、どんどん衰えていくだろうから、この先どうなっちゃうかと時々、不安になる夜があるという話をする。あの人は43歳で死んでしまって何も考えなくてよくていいわねと笑う。
確かになあ。もし、黒帯が先に死んで、自分がKさんのようにどこか患っていたら、そんな不安に襲われる夜もあるだろう。
話が、恐竜が一瞬にして滅んだ話にまで及んできたので、それは、そうなってから悩みましょう、と私。
我々2人は幸福なパラレルワールドに生き残りますよ。
と、なんの確証もないことを言った( ´艸`)
正観さんなら、なんていうかな?
本を断捨離中ではあるが、次に小林正観さんの本が欲しくなった時は、amazonではなくアーナンダで買おうと決心した✧♡