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乳がんになった私 #77「手術前日①-母の想い-」

11月29日。

いよいよ明日が手術。今日から入院だ。

実家で思ったよりもしっかり眠れて、7時に起床。朝ごはんを食べた。

内田も合流し、東海テレビの方々が家に到着するのを待った。

(手術前日に取材を受けることになった経緯については #75 を読んでほしい。)


撮影クルーの方々は9時頃到着した。

実家のリビングのソファーに私と母が並んで座り、ディレクターFさんからの質問に答えていく形で撮影が始まった。

(内田と父は少し離れた場所からその様子を見ていた)


Fさん「まずは森さん、いよいよ今日から入院、明日手術となりますが、今、どんな心境でしょうか。」

私「2日前に取材してもらった時は、とにかく緊張しているって言ったと思うんですけど、なんだか今はもう本当の意味で覚悟が決まっているというか、割と落ち着いてますね。昨夜は実家のベッドでちゃんと眠れました。」

本当に、2日前と比べ自分の心境に変化があった。

乳がんが発覚してすぐに、治療や手術に対しての覚悟は出来ていたつもりだったのだが、本当の本当に覚悟が決まった人間って…なんというか、こう、どっしりと落ち着いていられるのかもしれない。


Fさん「これまでのインタビューで、乳がんに罹患してからご家族との時間が増えたとおっしゃってましたよね。今日もご実家でこうやって取材を受けてくださっているわけなんですが。」

私「そうですね…本当に、家族との時間は増えました。乳がんになったことはもちろん良いことではないんですが、今まではバンドの活動が忙しかったりであまり実家にも帰らず、時間を作れてなかったんですけど…両親と過ごす時間、ゆっくり話す時間が取れたことは、病気になって良かった点です………って、話してたら泣けてきたあああああ!!!」


母と取材を受けると決まった時から、泣いてしまうかもしれない予感はしていたのだが…早かった。

そして私の涙を見て、やはり母も泣き出した。2人して涙を拭いながら話した。

Fさん「お母さまは、彩乃さんが乳がんだと分かった時、どんな心境でしたか…?」

母「乳がんかもしれないって連絡が来た時、私は、絶対に違う!って思ってました。まさか自分の娘に限って、そんなわけないって。」


私は “まさか自分が” とは思わなかったのだが、母は “まさか娘が” と心底思っていたのだった。


母「でも、本当に乳がんだって分かった時には…それはもうショックで、泣きました。泣いてばかりいました。変われるものなら変わってあげたい、私はどうなってもいいからって。最悪のケースも考えてしまって…もしも彩乃が死んでしまったらって…そしたら私も生きていけない、彩乃の後を追って私も死ぬ!!!…なんてことまで考えちゃったりしました。」


母の言葉を聞いて、さらに涙が溢れた。



母「もちろんずっと大切な娘ですけど、なんだかより一層…いくつになっても我が子はこんなにも可愛いんだなあって。抱きしめて、よしよし〜ってしたい気持ちっ。」


胸がいっぱいになった。

母の気持ちは理解していたつもりだったが、こうやって第三者から質問をしてもらうことで初めて知る想いがある。


1時間ほど話し(2人ともよく喋るのでたくさん話した)、実家での取材を終え、撮影クルーの皆さんと一緒に車に乗り込み病院へと向かった。

次に帰ってくる頃には、もう手術を終えた状態の、右胸を全摘した私なんだな。

病院までの道中、見慣れた景色を眺めながら、ただ、そう思った。

(#78へ続く)
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