出雲電子の謎の夫婦
【 1982(昭和57)年11月 20歳 】
大学祭が終わり、出雲電子のバイトも既に1ヶ月が過ぎた。私はもうすっかり出雲電子の夜のメンバーとして定着していた。あの苦しい大学祭との両立(勉学はどこへ行った…)を果たした私には恐れるものはない。目標に向かって突き進むのみである。
さて、実は私は母親譲りのせいか、手先が器用で性格も注意深いところがあり、出雲電子の仕事は向いていると言える。極度の眠気さえなければまったく問題はなく、与えられたノルマ以上の数量をほぼ毎夜クリアしていた。『ロバの支配者』岡田さんも私を評価し、順調なバイト生活を送っていた。そして11月の中旬。雨の夜。事件は突然やってきた。
アルバイト開始5分前。出雲電子に到着するといつもと付近の様子が違う。赤い光を四方に放つ白黒ツートンカラーの車が2台。田舎町の人通りのない道で否応なしに国家権力島根県支部の存在感が際立っていた。ちょっと戸惑ったがとにかく工場に入ろうとすると、入り口で警官に呼び止められた。
「君は関係者? バイト?」
「あ…はい。」
「じゃあ入っていいよ。」
「わかりました…。」
まったく訳がわからないが、中に入ったら岡本さんから説明を受けた。
「あの夫婦が捕まった(逮捕)らしい。」
「えっ? 何があったんですか?」
「どうも…拳銃を作ってたらしい。」
「えええっ! どうして…?」
「わからん。とにかく1人ずつ警官に呼ばれて質問されるから。それまではいつもと同じように仕事していてくれ。」
「はい。わかりました。」
作業場に入りいつもの通り仕事を始める。バイトは皆、その話で持ちきりである。当然、件の夫婦の姿はない。やがて15分くらい経ったくらいでバイトが1人ずつ別室に呼ばれる。順番は長く働いている者からだった。最初に呼ばれたのは吉岡。夢の車をゲットした後、事故によりたった1ヶ月でそれを無くし、ローンのためにだけバイトを続ける不幸な男だ。そして5分くらいだっただろうか、吉岡が戻ってきた。皆の視線が注がれたためだろうか、吉岡はドヤ顔だった。
「どうだった? 何を聞かれた?」
皆、興味津津である。
「うんうん、警官が3人いて…。」
彼の話をまとめると、
1. 夫婦の家に行ったことはあるか?
2. 夫婦の会話の内容を聞いたことはないか?
3. 夫婦のことで知っていることはあるか?
4. どうしてここ(出雲電子)でバイトしているのか?
5. 夫婦と交流のある人を知らないか?
などといったことである。まあ、夫婦が犯罪者なら同じ職場の者に対してはそんなものだろう。ただ、4番目の質問は吉岡に対してちょっと気の毒な内容だ。答える吉岡に警官も少なからず同情し励まされたらしい。さてその後5人目くらいだったか、わたしの順番が回ってきた。
「すいませんね。すぐ終わります。ご協力お願いしますね。もうある程度わかっておられるかと思いますが、福山夫妻が法に触れることをしまして、え~、まあ拳銃を自宅で作ってましてね、それで警察としては接触のあった人達にいろいろ質問しなくてはならないのですよ。申し訳ないですがお願いします。」
「はい。」
「まずお名前と年齢、今の住所と実家が別ならその住所と連絡先を教えてください。」
「玖津木研吾、20歳。住所は…」
「はいどうも。それで玖津木さんはどうして…」
っと、だいたい吉岡に聞いていた通りの質問だった。ただ最後に。
「あの2人から火薬の匂いを感じたことはありませんか?」
という結構具体的な質問があったが、当然覚えがないので、
「いや、ないです。」
と答えた。それで私の質問も終了。そもそも警官も出雲電子の関係者を疑っていないのは雰囲気で充分理解できた。また、警官の最初の言葉にもあったが、これはあくまでも形式上の必要事項であり事務的なものであった。それに出雲電子は電子部品の検査をするわけで、金属等を加工する工場ではないため直接拳銃製造に繋がらないことも確かだった。
その後、皆の質問が終わり警察は午前1時半頃に帰った。岡本さんはとても狼狽し頭を抱えていた。その理由は警察への対応疲れではなく、仕事のノルマ達成(会社として)が際どくなったからだった。それは尤もだ。出雲電子は盆と正月以外は休みなし。大手電機メーカーの下請け工場という弱い会社である。理由がどうあれ簡単にノルマを下回るわけにはいかない。今回のような予測不可能なことであっても、大手電機メーカーはそんな言い訳を聞いてはくれない。まして、かの夫婦は日曜以外はほぼ毎日深夜に出勤していた。たった2人とはいうものの、予告も無くいきなり抜けられるのは痛い。岡本さんはバイト達に対し、
「誰か新しいバイト誘ってくれないか? 頼む!」
と、珍しく感情を露にして依頼をした。私は『普段はロバみたいな顔のこの人も、いろいろ大変なプレッシャーの中で仕事しているんだな。』としみじみ感じたものだ。そして私はすぐさま岡本さんに答えた。
「出雲大じゃないのですが、友人が1人興味を持っていますので誘ってみましょうか?」
「大学生か? どこの?」
「米子の鳥取学院大です。小学校からのツレですが、そいつも車買うためにバイトしているんですが深夜でもOKらしくて。」
「ホントか! 助かる! 連れてきてくれ!」
「はい。わかりました。」
なんとタイミングがいいことか、その男、前田勝司は私の小学生からの親友である。2~3日前に電話で出雲電子のことを話したところ、彼も深夜にバイトに入りたいと言っていたところだった。
そして朝。バイトが終わりアパートでテレビを点けたらこの事件がニュースになっていた。写真も出ていた。その服装は出雲電子の作業着姿。出所はおそらく出雲電子であろう。もともと地味な顔立ちの上、作業着も地味。表情も失敗した証明写真の雰囲気。確かに感じの良くない人物ではあるが、犯罪者の風体を悪辣に見せるテレビニュースのテクニックは凄まじいものだとしみじみ感じた。で、報道によるとやはり拳銃の密造が逮捕理由であった。また、暴力団員との繋がりもあったようだ。…まったく、怖い怖い。ほとんど関わらなかったし会話もしなかったが正解であった。兎にも角にも、警察に逮捕された犯罪者が間近にいた経験は初めてで、初々しい20歳の私には衝撃的な経験であった。
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