心が動かされると、誰かの心を動かしたくなる
ブログを定期的に書けない。
これは何年も前から、直そうと思って試行錯誤してきたけど、
どうにも無理だった。
どうにも心がのらないなぁ、と思いつつ、
いつも書きたいと思う時期はとことん書き、
そう思わない時期は全く書かない、という自分に正直なスタイルにしてから、2年くらい経つ。
なんと、定期的に書けない理由がふと分かった。
というか、書きたいと思う時期がどういう時に訪れるのかが分かった。
最高のインプットをすると、アウトプットがしたくなる。
=心が動かされると、誰かの心を動かしたくなる。
という法則に気が付いた。
自分の心を動かしたものだけが、真のインプットである。
人の心を動かしたものだけが、真のアウトプットである。
これは私の大好きなある方の言葉なのだが、
なるほど、何かに心を動かされると、
それを誰かに広げたい、たった1人でも良いから、誰かの心を1mmでも動かすキッカケを作りたい、という思いが芽生えてくることに気づいた。
心から思っていることを、言葉にしたい。
心から思っていることしか、言いたくない。
(例外は、ある)
これは私の生き様の、大事な指針の1つだ。
ブログを書く、という、自分の考えや経験を言葉にするという行為は、難しいことのように思う。
「書く」というのは、本当にしんどい、大変な行為です。
何本もの論文、本を執筆してきた教授に言われた言葉だ。
書く、というのは、自分の経験からしか生まれない。
経験がないと、書けないのだ。(私は)
心を動かされる、という経験を私はとても大事にしている。
マイナスであれ、プラスであれ、どちらでも大歓迎だ。
むしろ動かないことが怖い。退屈で仕方ない。
そしてそういう経験をした時、
私はその波紋を、広げたいと思うのだ。
私はこんな事に心が動いたんだ。
それを伝えることで、誰かの心を、少しでも動かすことが出来たら、とそう思っている。
心が動くとは、何だろうか。
朝目覚めた瞬間、その事実に心が動く人もいれば、
大切な人が死んでも心が動かない人もいる。
美味しい食べ物に心が動く人もいれば、
不味いものを食べた時に心が動く人もいる。
人が何を、どう感じるかなんて当たり前だけど違う。
それで良いと思う。
私はこれを、刺激に感じる。
私はこんなことに、心が動く。
それを言葉にし、それを発信することで、ある程度似た者が集まる。
そこから始まる関係性がある。
何も始まらないかもしれない。
何が起こるかなんて分からない。
「私という人間はここにいるんだ」
それを叫び続けたい。
(ヘッダーは日本で1番綺麗な星空が見える阿智村。
昨日星を見るために半日かけて行ってきた。
皆ダウンジャケットで防寒してる中、薄着で凍えながら、挙げ句の果て曇り空で星が1つも見えなかった。たった1つも!
家のベランダからいくつもの星を見ながら、このブログを書いています。
可笑しくって、笑いが止まらない。最高の思い出。)